戦国時代には織田信長や徳川家康、伊達政宗など有名な大名には様々なエピソードが残っています。
武田信玄にも上記で紹介した戦国大名に負けないくらい多くのエピソードがあるのをご存知でしょうか。今回は武田信玄にまつわるエピソードをいくつか紹介したいと思います。
武田信玄は息子に殺されそうだった!?
武田信玄は長男・武田義信が未婚だったため、今川家から奥さんをもらい、同盟を結んでいました。
ところが、今川家の当主・今川義元が桶狭間の戦いで織田信長に殺害されてしまいます。今川義元の跡を継いだのは今川氏真ですが、あまり優秀じゃない当主でした。そのため武田信玄は今川家との同盟を破棄して、今川家の領土を奪おうと考えます。
武田義信は父・信玄が今川家との同盟を破棄しようとの考えを知り、信玄へ「今川家との同盟を破棄するのは信義に悖る行為だから、このまま同盟関係を維持するべきです」と今川家との同盟破棄に反対。
武田信玄は息子・武田義信の意見に賛成することなく、今川家との同盟を破棄する機会をうかがっていました。武田義信は父・信玄が自分の反対意見を聞かないと知ると、自分の味方になってくれる飫富虎昌らと武田信玄暗殺計画を立案します。
しかし武田信玄は家臣から武田義信が自分を暗殺する計画立てていることを知り、息子を捕らえて幽閉した後、殺害してしまいます。武田信玄は息子にも命を狙われていた人でした。
武田信玄は戦国最強なんかじゃなかった!!
江戸時代の人々は江戸幕府創始者・徳川家康をボコボコにした武田信玄こそ最強の戦国大名として知られていたそうです。そのため江戸時代の武士階層は武田信玄の戦術をこぞって学んでいたそうです。
武田信玄は上記のように江戸時代から最強のイメージが強く、現代でもこのイメージが崩れることなく残っています。しかし武田信玄は何度も敗北している戦国大名だったのです。
例えば1548年武田信玄は自慢の騎馬隊を率いて村上義清と戦いますが、重臣・板垣信方と甘利虎泰を失う大敗北を喫してしまいます。また武田信玄は上杉謙信と五回も川中島で戦いを繰り広げます。
ほとんどの戦いは本格的な戦に発展することなくにらみ合いだけでしたが、なんどか戦いが行われたことがありました。川中島の四度目の戦いは武田・上杉両軍が激闘を繰り広げ、武田信玄と上杉謙信が一騎打ちを繰り広げるほどでした。この戦いで武田軍は諸角虎定、武田信玄の弟・武田信繁、山本勘助など多くの有名な武将たちが亡くなってしまいます。
少年に嫉妬される武田信玄
武田信玄は女性も大好きでしたが、女性と同じくらいかわいらしい少年が大好きでした。武田信玄はある日、お気に入りではない違う少年といつもいちゃしていました。
すると武田信玄のお気に入りだった春日源助が嫉妬し、信玄の元に仕事に来なくなってしまいます。武田信玄はお気に入りの春日源助へ「私は君以外の人を好きになることはないから安心してくれ」と手紙を送って説得。
春日源助は武田信玄の手紙をもらって機嫌を直し、いつも通り信玄のもとへ仕事に来ることになるのでした。
戦国史ライター黒田レンの独り言
今回は武田信玄にまつわるエピソードを三つ紹介しました。
日本の戦国時代は古代中国の戦国時代と同じように多くの逸話を残した大名や武将がいっぱいいます。例えば織田信長や豊臣秀吉、徳川家康、上杉謙信、伊達政宗も面白いエピソードや素敵なお話が残っています。
今回の記事をきっかけにして日本の戦国時代のエピソードに触れてみると面白いかと思います。
■参考文献 新人物文庫 武田信玄謎解き散歩など
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