戦国時代には色々と面白いことが起きています。今回紹介する織田信長に関するエピソードもそのひとつ言えるでしょう。織田信長はクリスマスプレゼントを貰うために戦を止めていたのかもしれないのです。
織田信長がクリスマスに戦いを止めた!?
織田信長は京都を制圧すると足利義輝を殺害した松永久秀と敵対するようになってしまいます。そして織田信長と松永久秀の両者は戦をおっぱじめるようになります。
しかし両者中々決着をつけることができず、クリスマスの日に織田信長と松永久秀が和睦したそうです。このお話はキリスト教の宣教師・ルイス・フロイスの1568年に書かれた日記に記されています。
織田信長は宣教師・ルイス・フロイスからクリスマスプレゼントをもらうために松永久秀と和睦したのでしょうか。
クリスマスプレゼントを貰うために和睦したわけではない
織田信長は宣教師・ルイスフロイスからクリスマスプレゼントを貰うために松永久秀と和睦したのでしょうか。
流石に織田信長はクリスマスプレゼントを貰うために松永久秀と和睦したわけではないと思われます。どうして織田信長は松永久秀と和睦をしたのでしょうか。二人共キリシタンではありません。
松永久秀は織田信長との戦いが始める前にキリシタンを領内から追放しており、キリシタンを快く思っていませんでした。また織田信長は宣教師・ルイス・フロイスと会うことはしますが、まだキリスト教を認めていません。このような状況の中で、両者が和睦した理由は利害が一致したからだと思います。
織田信長と松永久秀の利害とは?
織田信長と松永久秀はクリスマスの日に和睦しますが、和睦した理由は利害が一致したからだと上記で紹介しました。では二人の利害とは一体何なのでしょうか。
織田信長は上洛をして、京都を占領していた敵対勢力を追放して足利義昭を京都に戻すことに成功。しかし織田家の軍事面や経済面などの力は松永久秀と戦いを始めたとき、既に限界に来ていました。
松永久秀は織田信長に京都を追放されてしまい、軍事力や領内の力が限界に来ている状態でした。両者は既に戦を繰り広げることができる状態ではなかったため和睦をした思われます。
そして両者はクリスマスの日を狙って和睦をしたのではなく、たまたま和睦をした日がクリスマスだっただけであると考えるのが妥当だと思います。
戦国史ライター黒田レンの独り言
今回は織田信長とクリスマスについて紹介しましたが、戦国時代にクリスマスはあったのでしょうか。
色々と調べてみると戦国時代の日本にクリスマスをしている記載がありました。クリスマスを日本で最初に行われたのは1552年の周防の国でクリスマスを祝ったことが最初とされています。
1552年の周防の国は毛利家が占拠していたわけではなく、大内氏と呼ばれる大大名が周防を領有していました。当時周防はフランシスコ・ザビエルの努力によってキリスト教が布教されていました。
そのため周防ではキリスト教のお祭りであるクリスマスが行われることになったのでしょう。そしてクリスマスはどんどん派手になっていきます。
その後クリスマスは九州の平戸と呼ばれる土地でも行われるようになります。この時のクリスマスパーティーは教会で行われ、キリシタン同士がプレゼント交換していたことが記録に残っています、。
また堺の教会でもクリスマスパーティーが行われたそうです。このクリスマスパーティーは、敵対していた武士同士が教会に集まってドンチャン騒ぎを行ったそうです。現代のクリスマスパーティーとあまり変わらない光景だったのではないでしょうか。
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