皆さんはお酒を飲みますか。お酒を飲む方はいったいどれくらい飲みますか。
一杯ですか。それとも二杯でしょうか。
それとも四合瓶を飲み干してしまう酒豪ですか。
今回紹介する越後の龍・上杉謙信もすんごくお酒が好きでした。いったいどれくらいお酒を飲んでいたのでしょうか。
越後人はみんなお酒が強い
上杉謙信が領土にしている越後は北国でとっても寒い地域でした。そのため越後の人々のほとんどは体を温めるため、お酒を飲んでおり、みんなお酒が強かったそうです。戦国時代越後の国主であった上杉謙信もとってもお酒が強い人でした。
酒好き上杉謙信
山形県米沢市にある上杉神社。ここに上杉謙信がお酒を飲むときに愛用して使っていた「馬上杯」が展示されています。この「馬上杯」は直径12センチほどある大きな杯で、三合も酒が入るそうです。
上杉謙信は馬に乗ったままこの「馬上杯」にお酒を入れて、飲んでいたそうです。上杉謙信は三合もお酒が入る馬上杯にお酒を入れて、戦場で飲みながら戦っていたそうですが、戦場で酔っ払ったりしなかったのでしょうか。
一応、上杉謙信が戦場で酔っ払ったとの記録は文献にありませんので、酔わなかったと思われます。
将軍・足利義輝と徹飲み
上杉謙信の酒好きな逸話が残っているので紹介したいと思います。上杉謙信は将軍・足利義輝へ会うため、京都へ向かいます。上杉謙信は京都で足利義輝と会って最近の状況など、ご飯を食べながら語っていました。
彼ら二人の語り合いに関白・近衛前嗣が合流すると宴会が開かれます。上杉謙信・足利義輝・近衛前嗣の三人は宴会が始まるとガンガンお酒を飲み、気が付いたら朝になっていました。
近衛前嗣は先につぶれてしまい、先に帰ったそうです。しかし上杉謙信と足利義輝は徹飲みし、徹飲みした二人は再び宴会を行うため、近衛前嗣を招待。近衛前嗣は二人のお酒好きに嫌気がさしたのか招待を断ったそうです。
このように上杉謙信は徹飲みしてもびくとせず、翌日お酒が飲めるほど、お酒が大好きでした。
お酒が原因で亡くなる上杉謙信
上杉謙信は織田信長を手取川の戦いで勝利を収めたのち、関東の覇者・北条家を討伐するため春日山城へ帰還。上杉謙信は、春日山城でトイレに行った際、いきなり倒れて亡くなってしまいます。
上杉謙信の死因は脳溢血でした。脳溢血の原因は主に高血圧が原因で発生するそうです。上杉謙信はお酒が大好きで、毎日飲んでいました。そのため上杉謙信はお酒が原因で高血圧になり、脳溢血になってしまった可能性があると考えられます。
「はじめての三国志」の読者の方にも、お酒をよく飲まれる方が多いと思います。「酒は百薬の長」と言われていますが、ほどほどにしておかないと皆様も上杉謙信みたいに脳溢血で亡くなってしまうかもしれませんよ。
戦国史ライター黒田レンの独り言
上杉謙信は戦場や戦場で勝利を収めた際の宴会以外にも日常的にお酒を飲んでいたそうです。
お酒が大好きな上杉謙信ですが、お酒以外に好きなものはないのでしょうか。色々と資料などを調べてみると上杉謙信がお酒以外にも好きなものがある事が判明。それは梅干しです。
上杉謙信は梅干しをおつまみにして、お酒を飲んでいたそうです。ついでに梅干しも高血圧になりやすい食材だそうです。そのため上杉謙信の死因はお酒だけでなく、梅干を食べていたことも原因の一つに挙げられると考えられます。
越後の龍・上杉謙信は戦国最強と言われたほど戦に強い大名でしたが、病に勝つことができなかったことを考えると不摂生ってとっても恐ろしいですね。
参考 新人物文庫 上杉謙信謎解き散歩など
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