今回は幕末の尊王攘夷派のスポンサーである白石正一郎について取り上げます。幕末の倒幕派はどのようにして資金を調達していたのか気になる人がいると思います。この記事では、裏方としてほとんど表に出てこない商人の白石正一郎と西郷隆盛・高杉晋作・坂本龍馬との関係を取り上げます。
白石正一郎ってどんな人?
白石正一郎は1812年に長門国で、荷受問屋を営んでいた白石卯兵衛の長男として生まれました。白石正一郎邸「浜門」は下関市に移築されて保存されています。
白石正一郎の荷受問屋は米・たばこ・反物・酒・木材など様々な商品を扱ったり、質屋を営んだりするなど幅広く経営していました。下関は西国交通の要衝であったことから、長州藩など多くの藩から仕事を受けていました。白石の荷受問屋の資金量は豊富でした。
豊富な資金量を生かして、白石正一郎は鈴木重胤から国学を学びます。鈴木重胤の門下生を通じて薩摩藩の西郷隆盛が白石を訪問するようになりました。2018年の大河ドラマ『西郷どん』で、西郷隆盛と白石正一郎が資金面で対談しているシーンがありました。白石は1話の中の1シーンのみ登場しますが、資金面で重要な人物と言えます。
門下生を通じて、平野国臣・真木保臣らと親しかったことで尊王攘夷に影響を受けました。長州藩の高杉晋作や久坂玄瑞らも資金面で援助しています。高杉晋作の奇兵隊結成に大きな役割を果たしています。土佐藩を脱藩した坂本龍馬も一時身を寄せていたといわれています。
白石正一郎は豊富な資金を活用して奇兵隊結成の援助をしましたが、幕末の志士のために豊富な資金を使い果たしたそうで、明治時代になると残された財産はなかったようです。赤間神宮の2代宮司となりました。1880年に69歳で死亡しました。
白石正一郎の日記とは?
白石正一郎と西郷隆盛・坂本龍馬・高杉晋作らとの出会いについて取り上げました。この記録は白石正一郎の日記に残されています。
白石正一郎の日記は、古川薫著『維新の商人 語り出す白石正一郎日記』で書かれています。この本の紹介によれば、1857年に西郷隆盛が下関の商人・白石正一郎邸の扉を叩きました。扉を叩いたその時から幕末の情勢は大きく変わったと書かれています。
白石正一郎は私財をなげうって尊王攘夷派のスポンサーとなり、奇兵隊結成の援助だけでなく、奇兵隊隊士として戦場に立ったことを紹介しています。
なお、白石正一郎は肖像画を残さなかった人物で、日記だけを残した人物として紹介されています。日記が詳細に書かれていることから当時の幕末の情勢を知ることができる著書として知られています。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は商人の白石正一郎について取り上げました。幕末の倒幕の資金援助をした人物として取り上げましたが、肖像画がなく日記だけ残したことや裏方として活躍していたことから知名度はあまり高くありません。
大河ドラマでは1話の中の1シーンで登場するかしないかという人物です。これまでの大河ドラマでは、1968年の『竜馬がゆく』、1977年の『花神』、1990年の『翔ぶが如く』、2015年の『花燃ゆ』、2018年の『西郷どん』で登場しています。
この記事では豪商の白石正一郎を取り上げましたが、その他の豪商にも注目したいと思います。具体的には、三井財閥・住友財閥・安田財閥・三菱財閥・大倉財閥など戦前の財閥が台頭してからGHQによる財閥解体の命令が出るまでの経緯に注目したいと思います。財閥解体だけでなく、子孫についても注目したいと思います。
財閥以外ではNHKの朝の朝ドラ『あさが来た』の主役モデルである広岡浅子や大河ドラマ『黄金の日々』の主役モデルになった呂宋助左衛門にも注目したいと思います。
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