ネット上のイラストにいたっては猫耳のような容貌でも描かれる劉備。本当に耳が大きかったのでしょうか。劉備の逸話の真相を探ってみましょう。
大耳児の由来は曹操?
少しオーバーな記述もある劉備の逸話。実は「大耳児」というあだ名は曹操が命名したモノだったのです。しかも中国語の発音は”ダーアルアル”。曹操はその語感も楽しんでいたのかもしれません。
曹操は北方育ち、話される中国語は語尾に”アル”をつける習慣があります。日本人が中国人の口まねをするときに”そうアルね”と言うのはココに由来します。
由来は他人よりも大きな耳でしょうが、三国志にも記述があります。それは呂布を討伐したときのことでした。
縄でがんじがらめにされた呂布は全く身動きが取れません。少し縄を緩めてくれないかと曹操に懇願するも一蹴されます。
さて、その呂布ですが、実は劉備の部下を通じて命乞いをしていました。部下から劉備へと命を助けるよう進言があったのかもしれません。
しかし、劉備は過去のふるまいを例に挙げて処刑を支持。曹操はそれに従い、呂布を処刑します。このとき曹操は劉備に向かって”大耳児(ダーアルアル)”と叫んでいます。
肖像画の耳も大きいのか?
後漢の王室を継いだほどの劉備ですから、肖像画も描かれています。頭には孔子がかぶるような帽子をかぶり、いかにも漢王朝の末裔のような顔で描かれています。
耳に注目すると肩までとはいきませんが、かなりの福耳。曹操が”大耳児(ダーアルアル)”と名付けたのも自然な流れだったのかもしれません。
ときには人も食べる?
日本ではあまり知られていない逸話が人の肉を食べたという逸話。実は劉備は人の肉と知らずに食べています。
ある日、戦い敗れて逃げることになった劉備。一軒の民家にたどり着きます。何らかの食事にありつけると考えたのかもしれません。主人の猟師は高貴な人物で知られる劉備が来たとあって、どうにかして彼をおもてなししようと思案します。そして、オオカミの肉を劉備に差し出すのです。
翌朝、家のそばで腕を切られた女性の死体を見つけた劉備。猟師を問い詰めると高貴な出自の劉備を接待したくて妻の腕をオオカミの肉と偽って差し出したとのことです。中国には命より面子を重んじる傾向があり、ただの庶民が王室の関係者に何も差し出せないというのは気が引けたのでしょう。子孫が罵られてはいけないと考え、猟師は決断したと言います。
ほどなく、劉備の親玉だった曹操はこのエピソードを聞いて、彼に金銭を贈っています。
劉備の腕はすごく長い?
膝まで腕があるともいわれる劉備。こちらの真偽は不明です。しかし、肖像画を見る限り手や腕は服に隠れ、はっきりと分かりません。見えないが故に見る人の想像をかき立てたのでしょう。ここからは主観ですが、高貴な人物、偉大な政治家を表現するため腕が長いと思われていたのです。蜀漢のトップに君臨するぐらいですから、背丈もあり、がっしりとしたイメージを庶民が抱いていたのです。
現代中国でも背の高い、大柄の男子が女子にモテます。女子から見て、自分を守ってくれそうな頑強な男子が好まれるのです。トラブルに巻き込まれても守ってくれそうな包容力のある男子がいいのです。
同様に過去の君主や皇帝に対しても大柄でがっしりとしたイラストで描かれていることが一般的です。こうした中国の風潮もあいまって劉備の腕が長いという噂が広まったのかもしれません。
三国志ライター上海くじらの独り言
耳が大きい、人の肉を食べる、腕が長いというと恐ろしい人物に感じます。いずれも共通するのは狂暴なイメージです。為政者だからこそ、こうした強く大きな姿、形が生じたのでしょう。
実際には関羽の方が大きかったようです。いろいろと逸話のある劉備ですが、偉大な人物であったことは変わりません。
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