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[犬との絆]西郷どん、その桁外れの愛犬家ぶり

2024年2月7日


 

西郷隆盛像

 

西郷隆盛(さいごうたかもり)と言えば軍服姿ではなく、上野恩賜(おんし)公園の銅像のように着物姿で犬を連れている姿が有名です。西郷隆盛は写真嫌いだったと言うことで、銅像のイメージは親族から聞き取って作成したと言われています。

 

2018年の大河ドラマ『西郷どん』の冒頭で、妻の(いと)が銅像を見て「うちの旦那さぁはこげな人じゃなか」と言ったのは有名です。この記事では、最初に西郷隆盛と犬との出会いについて取り上げます。次に、西郷隆盛が犬を連れて散歩をする意外なきっかけについて取り上げます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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西郷隆盛は犬好きは犬の出会いから

西郷隆盛は犬好きは犬の出会いから

 

 

西郷隆盛は元々犬が好きで、実家で数匹飼っていました。毎朝・毎夕に犬を連れて散歩している姿が近所の人に何度も目撃されています。一方で、西郷隆盛は元々犬があまり好きでなかったという説があります。親族から薩摩犬を預かったことがきっかけで犬を飼うようになったと言われています。犬を連れて兎狩りをすることは西郷の趣味の一つとなり、日課となっていました。

 

 

西郷隆盛のダイエットは犬の散歩?

西郷隆盛のダイエットは犬の散歩

 

西郷隆盛が犬好きになったきっかけは何でしょうか。西郷は犬好きではなく、ダイエットのために犬を飼い始めたと言われています。

 

西郷が肥満体になった経緯について紹介します。薩摩藩にいた頃、倒幕のために戦場で戦っていたことから相当な運動量だったと思われます。脂っこい食事や甘いものが大好物でしたが、肥満になることはありませんでした。

 

明治政府では参議になりました。参議とは太政官の1つで、会社の中では現場ではなく管理職になりました。管理職になっても脂っこい食事や甘いものが大好物で食事量は減りませんでしたが、デスクワークで体を動かすことが少なくなったため肥満になりました。

 

西郷は肥満になり、歩くだけで息切れしたり馬に乗ることができなくなったりしました。ドイツ人医師ホフマンは西郷を肥満と診断しました肥満解消のために、炭水化物を減らすことと運動することをアドバイスしました。食事制限だけでなく下剤(ひまし油)を1日5回飲むようにアドバイスしました。西郷はホフマン医師のアドバイスを受け入れて食事改善をするとともに犬を連れて散歩するようになりました。

 

肥満を改善するために犬を連れて散歩したきっかけはダイエットで、後にその散歩の姿が上野恩賜公園の銅像にもなりました

 

 

 

西郷どんの犬は肥満だった?

西郷どんの犬は肥満だった

 

飼い主の西郷隆盛だけでなく飼っていた犬も肥満になっていたと言われています。飼っていた犬が肥満になった要因として、西郷が狩猟で捕った兎や鶏などの獲物を犬の餌として与えていました。西郷隆盛はウナギが好きであることが有名でした。鰻と犬の逸話も有名です、鰻屋では鰻丼を注文しても西郷自身は食べずに犬に与えていました。鰻屋では定価よりかなり多い金額を支払いました。

 

 

幕末ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は西郷隆盛の犬好きについて取り上げました。犬好きになるきっかけがダイエットだったというのは意外かもしれません。ここでは西郷の犬との逸話について取り上げます。

 

西郷が狩猟で捕った獲物については犬の餌だけでなく宿泊先の宿の家族やお供の青年などに分け与えていました。鰻屋では西郷自身は何も食べずに犬に与え、定価よりも多い金額を支払っていましたが、西郷の真意は私学校の学生の支払いで不足した分を補うことだったということです。

 

不平士族の最後の反乱である西南戦争のとき、西郷は愛犬を連れていました。しかし、城山の戦いで追い詰められると、愛犬の首輪を外して逃がしています。西郷隆盛の犬への優しさ、若者への面倒見の良さが表われています。この面倒見の良さが現代でも多くの人々から支持されている理由であると考えられます。

 

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自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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