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ギネスも認めた世界最短戦争、わずか40分で終結した[衝撃の真実]

2024年2月15日


日本兵vs清兵(日清戦争)兵士とモブ

 

通常、戦争と聞くと長期間にわたる悲劇を想像しますが、歴史上には想像を絶する短さで終わった戦争が存在します。それが、1896年にイギリスとザンジバルの間で勃発したイギリス・ザンジバル戦争です。僅か40分で幕を閉じたこの戦争は、ギネス世界記録にも認定されていますが、その背景にはどのような事情があったのでしょうか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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戦争の発端

ガレオン船(世界史)

 

イギリス・ザンジバル戦争の発端は、ザンジバルのスルタン位を巡る内紛でした。イギリスの植民地支配に協力的なスルタンが亡くなり、その甥のハリド・ビン・バルガシュがクーデターを起こしてスルタンを自称したのです。これに対して、イギリスは別の人物をスルタンとして支持し、バルガシュに退位を要求しましたが、彼はこれを拒否しました。

 

 

驚異の40分間

 

1896年8月27日、イギリス軍はザンジバルの王宮に砲撃を開始し、王宮は一瞬で廃墟と化しました。イギリス軍の圧倒的な火力により、バルガシュ軍は約500名の犠牲者を出しましたが、イギリス軍側の犠牲者は1人も出さないという結果に終わりました。戦争は僅か40分で終結し、バルガシュはドイツ領事館に逃れました。

 

 

なぜこんなに短かったのか

 

この戦争が驚異的な速さで終結した理由は、イギリス軍の圧倒的な軍事力にありました。当時のイギリス海軍は世界最強を誇り、最新鋭の戦艦からの砲撃はザンジバル側にとって致命的でした。また、バルガシュが兵力で上回っていたにも関わらず、海軍力の差が決定的であり、彼の慢心も敗因の一つとされています。

 

 

 

まとめ:歴史に残るスピード決着

 

イギリス・ザンジバル戦争は、植民地時代の影響力争いが引き起こした短期決戦の一例です。その驚くべき短さと、圧倒的な軍事力の差が生んだ結果は、今も多くの人々に語り継がれています。この戦争を通じて、権力争いの悲劇と、軍事技術の進歩が歴史の流れをどのように変えてきたかを、改めて考えさせられます。

 

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