NHK大河ドラマ「光る君へ」第14話では、道長や道隆の父である藤原兼家が病死しました。兼家の死後は、嫡男の道隆が後継者になりますが、娘の定子を強引に皇后格の中宮にして、皇后が2名並立する事態を招いたり、17歳で実績もない嫡子の伊周を右近衛中将・蔵人頭に任命して、猛反発を喰らうなど、父の兼家を越える強引な独裁政治を開始しました。ドラマではそれまで温和な貴公子として描かれていたために、血は争えないと思われた道隆ですが、実際の理由は道隆の健康状態にあるのかも知れません。
朗らかで温厚ながら大酒飲みの道隆
大河ドラマでは、度々、白磁の酒器に酒を入れて飲んでいるシーンがある道隆ですが、史実の道隆は、これに輪をかけた大酒飲みでした。道隆はどこへ行っても酒を手放さず、牛車の中でも酒を飲み、泥酔して前後不覚になり、烏帽子も落として道端で熟睡する事も一度や二度ではなかったそうです。そのため、晩年には糖尿病がかなり進行していたと考えられます。
遺伝的に糖尿病が多い藤原氏
道隆のみならず、藤原摂関家には糖尿病による合併症が原因で死んだ者が何名かいます。道隆の伯父である藤原伊尹も糖尿病の合併症である背中の腫瘍が原因で急死していますし、弟の道長の死因も糖尿病の合併症でした。遺伝的に考えると道隆も糖尿病になりやすい遺伝子を持っていると考えられ、そこに大酒飲みが加われば、糖尿病まっしぐらでしょう。そんな道隆ですが、酒を辞めようとは微塵も考えなかったようで、病気が悪化して死に瀕しても、先に死んで極楽に言った友達と酒が飲めることを喜んでいたそうです。
嫡男、藤原伊周の権力安定の為に無茶をした
そんな道隆が藤原氏長者になったのは、37歳の時です。その時、嫡男の伊周は16歳で、まだまだ道隆の後継者には若すぎる状態でした。道隆は42歳で病死しているので、伊周が21歳になるまでしか生きられなかった事になります。そのため、道隆は自分の目が黒いうちに、伊周の官位を急速に引き上げ、同時に娘の定子を皇后にして、一刻も早い男子誕生を切望する事になります。それが、常軌を逸するような伊周の急激な昇進として現われ、周囲の人々は、道隆が家の繁栄だけを考えていると非難するようになったのです。
道隆の強引が祟り、伊周の信望は地に落ちた
道隆の嫡男の伊周は優秀な人物でしたが、あまりにも若過ぎました。道隆は死に臨んで伊周を関白にするように一条天皇に願い出ますが、21歳の若すぎる関白に不安を感じた天皇は却下し、関白は道隆の弟である道兼に譲られる事になりました。この道兼も疫病で急死して七日関白と称され、次の内覧として伊周と道隆の弟の道長が浮上しますが、伊周は権力闘争に敗れ、内覧は道長に決し、道隆の中関白家は没落していきました。
まとめ
本来は酒好きで朗らかな性格だった道隆ですが、健康不安と幼い後継者、伊周の事が気がかりで自分勝手な独裁人事に踏み切ったと考えられます。本人はもう少し生きられるつもりだったのかも知れませんが、強引な政治手法は道隆の求心力を低下させ、息子伊周の出世にも影を落としたのです。
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