佐久間象山は幕末時代を代表する天才的人物です。佐久間象山は洋学者ということになっていますが、そのような枠に入りきらない天才振りを発揮しています。そして、象山の開いた「五月塾」には幕末時代を代表する多くの人材が学んでいきました。吉田松陰も象山の塾生のひとりです。象山から洋式兵学・砲術・蘭学を学びました。幕末期に多くの志士に思想的影響を与えた吉田松陰の師に当たると言ってもいいのが、佐久間象山です。
そして、佐久間象山は、吉田松陰を「狂人」と評価しました。いったいその意味はなんだったのでしょうか。
合理的な天才で自意識過剰な佐久間象山と吉田松陰
佐久間象山はいわゆる天才です。それも万能天才です。学問だけではなく武芸にも通じる人物でした。象山は自己評価がものすごく高く態度は尊大でした。身分も関係なく偉い人にもずけずけモノを言います。しかもそれが正論であるだけに、相手も困ってしまうのです。失敗しても全然めげません。ポジティブです。
大砲の製造を請負い、試射で砲身が破裂してしまっても「失敗があるから成功する」と堂々と言い放ったといいます。佐久間象山は、多くの実績を残していますが、この尊大で自意識過剰な性格ゆえに敵が多く弟子からもあまりよく言われていません。
そのため、現代も評価が高くなく、知名度もいまひとつです。しかし、科学技術に対する合理的な精神は幕末時代では図抜けており、象山は西洋科学の根本に「合理的」な仕組みがあることを見抜きました。そして、自分が得た知識も「秘伝」や「奥義」などではなく理をもって弟子たちに伝えたのです。吉田松陰は、象山から学問を身につけますが、彼の根本は「行動する」ということです。身につけた知識をもって正しいと思ったことは、即行動する。その結果など考えることなく、実行することこそが正しいという信念の持ち主でした。
佐久間象山が吉田松陰を狂人といったのはなぜ?
佐久間象山は合理的な思考をする天才です。当然、行動に対する結果がどうなるか、その効果が無駄であるかどうかを考えます。よって、象山は「攘夷」思想を持ちながらも、現在の日本の力では攘夷実行は無理であり「開国攘夷」と言う考えになります。
まずは、西洋のことを知り、その技術を身に付け対抗できる力を備えなければ攘夷実行は無理であろうという考えに至ります。彼の対外政策、安全保障の考え方の基本は、その後の明治政府の指針と重なるほどに先見性があったものです。一方、吉田松陰は結果などよりも、行動することが重要であり、正しいと思ったことが即やるべきであるという信念の持ち主です。
佐久間象山が、西洋のことを知らねば攘夷ができぬというなら、すぐに知るための行動に出るのが吉田松陰と言う人物です。その結果がどうなるか分からずとも突っ走る行動力に対し、象山は吉田松陰を「狂人」と評しました。また、吉田松陰も狂うことが志を達成するための、純度を上げていく心構えであると説きます。松陰の残した「諸君、狂いたまえ」は有名な言葉です。周囲の常識などにとらわれず、信念を持って行動することを松陰は重視し、その結果を省みない部分を天才・佐久間象山は「狂人」をしたのでしょう。
吉田松陰の密航は佐久間象山の影響?
吉田松陰が黒船に密航を企てたのも、敵を知らねば国の安全が図れないと言う思いからです。しかし、その行動は無計画丸出しで、漁師の船を盗み、黒船に乗り込み、そして密航を断られると戻ってきて、わざわざ自首するという始末です。常人から見れば、明らかに常軌を逸しています。
しかし、この行動も佐久間象山の西洋諸国のことを知らねば攘夷などできないという考えに従い、それを即実行したものであったのです。この密航未遂により、吉田松陰は投獄され、佐久間象山は吉田松陰をそそのかしたということで、連座され松代での蟄居になっています。
象山はあくまでも将来的な方針を説いたのであり、成功の見込みのない密航を吉田松陰に勧めたとは考えづらいです。象山の残した言葉の多くには、現代に繋がる合理的な思考が見て取れます。西洋に対抗できない砲を国費を費やし並べても無駄であることや、攘夷と言うその言葉の勢いで勝算もないの兵を動かすのは愚考であるなど、行動と結果のもたらす成果の合理を説いています。あくまでも一般論として、敵を知らなければ攘夷はできないというようなことを述べたのではないでしょうか。そして、吉田松陰はそれが「正しいこと」であるので即実行に移ったということでしょう。
幕末ライター夜食の独り言
佐久間象山は彼を知る人からの評価がよくありません。弟子でもあり妹を嫁に出した勝海舟からも一定の評価を得ながらも「ホラ吹きで困る」と言う、お前が言うのか?というようなことを言われています。
佐久間象山は、自分こそが最高の天才であり、自分より凄い奴はいないというくらいの自信家で尊大であったことは確かでしょう。同時代、彼に接した人で象山を良く言う人は多くありません。吉田松陰は「狂う」ことの意味、重要性を自分の弟子たちに説いていました。象山が、吉田松陰のことを「狂人」と評したのは決して松陰を貶めたりバカにしたのではなく象山なりの高い評価の言葉であったのでしょう。
合理的な天才であった佐久間象山は、吉田松陰の「狂気」が時代を動かす力になっていくと思っていたのではないでしょうか。松陰の死を知った象山の句「 こうすれば、こうなると分かっていてもやってしまう大和魂 」が松陰への高い評価を物語っています。
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