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【悲劇の政治家】小松帯刀、結核で夭折した[未来の総理]

2024年6月6日


小松帯刀

 

 

小松帯刀(こまつたてわき)は若くして薩摩藩の家老に取り立てられた有能な人物でした。同じ頃に活躍した西郷隆盛(さいごうたかもり)大久保利通(おおくぼとしみち)を超える才能を持っていたと言われていましたが、病気がちだったため、西郷や大久保と比べると歴史の表舞台に出ることが少ないのが特徴として挙げられます。今回は、小松帯刀を悩ませた病気と湯治について取り上げます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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小松帯刀の死因は何だった?肺病?痛風?大腸がん?

大久保利通

 

 

小松帯刀は少年の頃から病弱でした。1867年、小松は薩摩兵を率いて御所に向かうよう命じられますが、持病が悪化したため大久保利通が代役として上洛することになりました。

 

 

大政奉還した徳川慶喜

 

 

大久保は大政奉還をした徳川慶喜(とくがわよしのぶ)に対して領地返還を求める大演説を行いました。小松は明治維新後に35歳という若さで病死しますが、その死因は何でしょうか。小松の持病は肺結核だったと言われています。当時の日本の医療技術では肺結核の治療に限界があったため海外の医師は渡欧を勧めていましたが、渡欧しないで大阪で死亡しました。

 

 

湯治について知ろう

 

湯治(とうじ)とは温泉地に長期間滞留して特定の疾病の温泉療養を行うことです。現代では、現在では、皮膚病の治療で湯治が行われることが多いと言われています。また、現在の医学では治療困難とされる病気の治癒を期待して湯治を行う人もいます。当初、湯治は権力者など一部の人に限られていました。

 

金の亡者の豊臣秀吉

 

戦国時代では、湯治で有名な人物として豊臣秀吉(とよとみひでよし)が挙げられます。合戦や任官・家族の他界など人生の節目ごとに有馬温泉で湯治を行っていたことで有名です。安土桃山時代まで湯治は権力者など一部の人に限られていましたが、江戸時代から一般の人の間でも湯治が盛んに行われるようになりました。

 

薩摩藩士の小松帯刀の場合、病気療養だけでなく、身分に関係なく人々と交流するために湯治を行っていました。

 

 

日本初の新婚旅行は小松帯刀?

坂本龍馬

 

 

日本最初の新婚旅行は1866年で、坂本龍馬(さかもとりょうま)と妻のおりょうであると言われています。しかし、1856年に新婚旅行として湯治旅行をしていた夫婦がいました。その夫婦とは小松帯刀と妻のお(ちか)でした。霧島の栄之尾温泉に湯治旅行に来ていて、日本初の新婚旅行ではないかという見解があります

 

 

小松帯刀のお墓参り!

 

小松帯刀の墓は園林寺跡にあります。園林寺は小松家の菩提寺で、小松家歴代の墓があります。帯刀の墓は吉利集落を見下ろす最前列にあります。妻おちか(お近)の墓と並んでいます。なお、園林寺は1869年の廃仏毀釈(はいぶつきしゃく)によりほとんどが失われ、現在は廃仏毀釈の被害に遭った仁王像や墓地が残されています。

 

小松帯刀の墓がある園林寺跡は鹿児島県日置市にあります。鹿児島IC~伊集院IC利用を利用すると、鹿児島市内から車を使うと40分で移動できます。JR伊集院駅から車を使うと20分で行くことができます。

 

 

幕末ライターオフィス樋口の独り言

三国志ライター オフィス樋口

 

今回は少年の頃から病気がちだった小松帯刀の死因について取り上げました。小松帯刀は2018年の大河ドラマ『西郷どん』でも登場しますが、病気がちだったため歴史の表舞台にいる期間が西郷隆盛や大久保利通と比べると少ないです。この記事では、小松の病気として肺結核を挙げました。

 

湯治の肺結核の治療は日本で限界だったため、35歳で死亡しました。当時の日本で肺結核の治療技術が向上していれば小松は長生きできたのかもしれません。次に、湯治について取り上げました。現代では医療技術が発達していて湯治はピンとこない人が多いと思いますが、現代でも皮膚病の治療のために湯治が残っていることを取り上げました。

 

小松帯刀と湯治との関係については小松の病気の治療だけでなく、身分に関係なく人々と交流するためにも使っていたことを取り上げました。終わりに、小松帯刀と坂本龍馬の新婚旅行について取り上げました。坂本龍馬よりも先に小松帯刀が新婚旅行をしていたことは意外だと感じる人がいるかもしれません。今後の議論に注目したいと思います。

 

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オフィス樋口

自己紹介:フリーランスで予備校の講師をしています。 歴史が好きで、予備校では主に日本史を指導しています。 センター試験の点数を40点台から80点台に伸ばした実績があります。 好きな歴史人物:徳川慶喜(理由:多趣味であることが共通しているから)

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