NHK大河ドラマ「光る君へ」においてユースケ・サンタマリアさんが演じている安倍晴明。夢枕獏の小説「陰陽師」のヒットもあり、人とも魔ともつかない美貌の青年として描かれてきた安倍晴明ですが、今回の大河では、年齢を重ね、時の権力者を渡り歩きながら地位を築いていく怪しい存在になっています。では、そもそも安倍晴明とは、どんな人物だったのでしょうか?
幼い頃から陰陽道を習う
安倍晴明は延暦21年(921年)大膳大夫安倍益材子として誕生しました。幼少期については不詳ですが、陰陽師のエキスパートである賀茂忠行、保憲父子に陰陽道を学び、同時に天文道を伝授されたようです。
出世は遅いが占いの腕は確か
晴明は出世が遅く、40歳でまだ天文得業生という天文道を学ぶ学生でしたが、占いは当時から優れていて、村上天皇に占いを命ぜられた記録があります。しかし、晴明の出世の切っ掛けは占いとは関係なく、内裏火災で焼損した霊剣鋳造の手柄でした。この功績で晴明は、応和元年(961年)以後、陰陽師に任じられ、次に51歳で天文博士との兼任が認められました。ここから分かるのは、晴明は刀剣を製作するノウハウがあり、天文学にも通じていたという事です。天文学は数学的素養が無いと出来ないので晴明が占いだけではなく理数系に強いインテリだった事が窺えます。呪術も使える理数系って、中二病心をくすぐりますね。
師匠筋の賀茂家を凌ぐ
晴明が陰陽師として頭角を現すのは、師匠筋である賀茂忠行と保憲父子が没した後でした。さすがに陰陽寮トップの陰陽頭にはなれませんでしたが、占いを通じて高級貴族に仕えた事で位階は陰陽頭よりも上位に登っていました。59歳になった晴明は、円融天皇の皇太子であった師貞親王の依頼で那智の天狗を封じる儀式を行い気に入られます。やがて師貞親王が即位して花山天皇となると、晴明はしばしば天皇の命令で占いや陰陽道の儀式を実施します。
世渡り上手な晴明
花山天皇が在位二年で、藤原兼家の陰謀で出家に追い込まれ、幼い一条天皇が即位すると晴明は時世を読んで立ち回り、藤原兼家やその子の道長に仕えるようになりました。特に幼い一条天皇が病に臥せった時、晴明が禊をすると天皇の病気はたちまち治ったとされ、晴明は正五位に叙されています。また、寛弘元年(1004年)には深刻な干ばつを受けて、晴明が雨乞いの五龍祭を実施すると雨が降り、一条天皇は褒美を与えました。
天文の計算能力で国税局に
陰陽師として名声を集めた晴明ですが、占いばかりに頼らないのが面白い所で、天文道において磨き上げた計算能力を買われ、今でいう国税局である主計寮に異動します。その後も晴明は、左京権大夫や穀倉院別当の官職を歴任し官位も従四位下に昇進しました。この従四位下は、検非違使別当や蔵人頭に並ぶ位階で、中級貴族である晴明にとっては異例の出世でした。晴明の2人の息子も安倍吉昌と安倍吉平もそれぞれ優秀で、天文博士や陰陽助に任ぜられるなど安倍氏は昇進が続き、晴明一代で師で師匠筋の賀茂氏と並ぶ陰陽道の大家になってきました。
まとめ
安倍晴明は占いの腕で出世の糸口をつかみますが、それだけではなく理数系である天文学も数学も得意で、しかも霊剣まで鋳造できる冶金技術を持っていた技術者でした。占いと数学、相反する2つの才能を合わせ持つ晴明は、かなり中二病心をくすぐるキャラと言えそうですね。
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