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エッフェル塔はパリの[象徴]ではなかった!?

2024年7月8日


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エッフェル塔は現在、パリの象徴として知られていますが、建設当初は多くの批判を浴びました。1889年のパリ万国博覧会のために建設されたこの塔は、当初「醜悪な鉄の怪物」としてフランスの芸術家や知識人から反対されました。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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一時的な存在だったエッフェル塔

 

実は、エッフェル塔は博覧会終了後に解体される予定でした。しかし、その後の電波通信技術の発展により、塔は無線電波の送受信に重要な役割を果たすことが分かり、保存されることになったのです。特に、第一次世界大戦中にはドイツ軍の無線通信を妨害するために大いに役立ちました。

 

 

技術の粋を集めた鉄の巨塔

エッフェル塔は、当時の技術の粋を集めた建造物でした。建設には18,038個の鉄部品が使用され、2年2ヶ月で完成しました。エッフェル塔の設計者であるギュスターヴ・エッフェルは、風の抵抗を最小限に抑えるための計算を徹底的に行い、その結果、今日でも風速に耐える堅牢な構造を持つ塔が実現しました。

 

 

エッフェル塔の現在の役割

大学と東京五輪の連携学生の通訳ボランティア いだてん

現在、エッフェル塔は観光名所として年間数百万人の訪問者を迎えています。夜間にはイルミネーションが施され、パリの夜景を彩ります。また、通信塔としても利用され続けており、フランス国内外のテレビやラジオの電波を発信しています。

 

 

まとめ

サッカー日本代表風シャツを着る おとぼけ

 

次にエッフェル塔を訪れる際は、その歴史的な背景と驚きの建設秘話を思い出してみてください。パリの象徴としてのエッフェル塔は、意外な転機を経て今日の姿となったのです。

 

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