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後宮の内幕!美しき女性たちの隠された[闘争史]

2024年7月7日


献帝に官位を要求する兵士

 

中国の歴史書を読んでいく上で悩ましいのは、その人物の官職が記されているものの、それがいったいどのくらいのものなのかがよくわからないというところ。同じ名前の官職でも、時代によって位の高さが違っていたり、違う名前の官職なのに、実は仕事は同じでしたなんてことがあったり。

 

とにもかくにもわかりにくい!

 

特に、三国時代なんて3つの国で違う官職があったり、位が違ったりで『三国志』を読むのは意外と大変。しかし、それは昔の人も同じだったようで、『三国職官表』なんていうものが編まれています。これがあれば『三国志』の官職も手に取るようにわかります。

 

このように、歴史書では必ず言及される官位ですが、皇帝のハーレム・後宮の美女たちの位ってどうなってるんだろう…。たまに現れる女性を見てそう思ったことはありませんか。今回は、そんな後宮の美女たちの位についてさらってみることにしましょう。

 

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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そもそも後宮とは何なのか

後宮とは何なのか

 

ところで、後宮とは一体何のために存在するのでしょう。たくさんの女性を住まわせていた後宮は、男にとっては何だか夢のような世界ですよね。

 

しかし、後宮は皇帝の欲を満たすための場所というわけではないのです。実は、皇帝の大切な仕事をするための場所なのです。その仕事とは何か。それは、次の皇帝を生むことです。

 

そのため、たった一人の女性を妻として少しずつ子をなすよりも、たくさんの女性を妻としてたくさんの子どもをなす方が効率が良いと考えられたのでした。最初は数人だった皇帝の妃も、時代が下るにつれて数を増やし、儒教が重んじられ、「孝」の考えがもてはやされた漢代には数千人という規模に膨れ上がった後宮。しかし、数千人といってもその全ての女性が愛されたというわけではありません。後宮ピラミッドともいえるピラミッドの頂を成す数百人だけが、皇帝の子を成す資格を持っていたのでした。

 

 

3の倍数のヒエラルキー

桃園三兄弟

 

中国では古来より、1人の君主という頂点の下には三公という官僚のトップに君臨する官位があり、その次に位の高い九卿があり、といった具合に、3の倍数のヒエラルキーが存在していました。このヒエラルキーは後宮にも存在しており、1人の皇后を頂点として三夫人、九(ひん)、二十七世婦(せいふ)、八十一御妻(ぎょさい)、その他といった具合のピラミッドが形成されていたのです。前漢代にもなると皇帝の私情を交えて後宮がどんどん拡大していき、その位もますます増えて複雑化していきました。

 

光武帝

 

 

ところが、後漢の光武帝(こうぶてい)は節約を理由に後宮を縮小。複雑化していた後宮の位号を貴人、美人、宮人、采女(さいじょ)の4つにまとめたのでした。しかし、魏では子を産んだ女性や特別にかわいがっていた女性のために光武帝が廃した「昭儀(しょうぎ)」「婕妤(しょうよ)」の位を採用していたようですね。能力で評価することが好きな曹操(そうそう)らしいです。  

 

ヤキモチを焼いて殺された甄氏

殺された甄氏

 

女しかいないところというのは、大体どす黒い空気が生まれるものです。それは大体嫉妬に起因します。君主からの寵愛の差、子どもができた・できないの差、男児を授かった・授からないの差、子どもの能力の差。女の嫉妬による泥沼展開は、魏の後宮でも巻き起こっていたのです。曹丕(そうひ)の妃となった甄氏(しんし)。彼女は位が低かったものの、曹丕の寵愛を受けて後に明帝(めいてい)となる曹叡(そうえい)を授かります。

 

曹叡

 

ところが、その寵愛は次第に薄れ、曹丕の心は郭氏(かくし)などの別の夫人に移ってしまいます。これを嘆いた甄氏は曹丕に恨み言をこぼし、怒った曹丕によって死を賜ったのでした。

 

 

郭氏による謀略だった!?

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さらに悲しいことには、そのとき寵愛を受けていた後に皇后となる郭氏によって甄氏の亡骸は髪を乱された挙句、口に糠を詰め込まれるなど手ひどく辱められ、棺にも入れられずに葬られたのだとか。実は、甄氏が少しヤキモチ発言をしただけで殺されたのは、郭氏が裏で糸を引いていたからだったのです。

 

元々寵愛を受けていた甄氏に嫉妬して、あることないこと曹丕に吹き込みまくって曹丕の心を甄氏から引き離した郭氏は、まんまと邪魔な女を葬り去り、自分が皇后の位に就くという野望を果たしたのでした。ところが、皇后となれたものの、自分が殺した女の子どもの母にならざるを得なかった郭氏は後に明帝となった曹叡により断罪され、かたき討ちされてしまいます。そんな彼女も身分が低かったことを息子・曹叡に憐れまれ、明帝となった曹叡に「文昭皇后(ぶんしょうこうごう)」と()されます。それにしても、三国時代の後宮も江戸時代の大奥以上に恐ろしいところだったのですね…。

 

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