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クレオパトラは[エジプト人]じゃなかった!

2024年7月9日


クレオパトラ

 

クレオパトラと言えば、古代エジプトの美しい女王として有名ですが、彼女の血筋はエジプト人ではありません。実は、クレオパトラはギリシャ系マケドニア人であり、プトレマイオス朝の一員でした。この王朝は、アレクサンドロス大王の死後にエジプトを支配したギリシャ系の王朝です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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クレオパトラの知識と政治力

愛憎と権謀術数に人生に満ちたクレオパトラ

クレオパトラは美貌だけでなく、その知識と政治力でも知られていました。彼女は少なくとも9つの言語を話し、ギリシャ文化とエジプト文化を融合させることに成功しました。クレオパトラは、エジプトの神々を崇拝し、エジプトの人々からの支持を得るために自らを「新しいイシス」と名乗るなど、巧妙な政治手腕を発揮しました。

 

 

ローマとの関係

クレオパトラの政治的な動きの中で特筆すべきは、ローマの指導者たちとの関係です。彼女はまずカエサルと、次にアントニウスと同盟を結びました。これらの関係は、エジプトの独立を維持しつつ、ローマの政治舞台に影響を及ぼすための戦略的なものでした。

 

 

クレオパトラの最期とエジプトの運命

しかし、クレオパトラとアントニウスの連合は、ローマのオクタヴィアヌス(後のアウグストゥス)によって打ち破られました。クレオパトラは、自らの手で命を絶つことでその生涯を閉じました。彼女の死後、エジプトはローマ帝国の属州となり、古代エジプトの時代は終わりを迎えました。

 

 

まとめ

おとぼけ

 

クレオパトラの真実の姿を知った今、彼女がどれほど卓越したリーダーであったかを改めて感じることができるでしょう。次にエジプトの歴史を学ぶ際には、この魅惑的な女王の複雑な背景にも注目してみてください。

 

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