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[雑兵物語]戦国時代のリアルを名もなき者が語る

2024年7月20日


羽柴秀吉(足軽時代)

 

戦国時代の記録というと、大体が文語体で○○で御座候みたいに締められます。これだとかなり古色蒼然(こしょくそうぜん)としていて、何だか親しみづらい雰囲気がありますね。

 

ところが、江戸時代の前期、戦争を知らない世代に対して名もなき奉公人の目線でリアルな戦場を解説した雑兵物語という本もあります。雑兵物語に出てくるのは田舎言葉丸出しのリアルな口語文で戦場の様子がありありと目に浮かんで来るようなのです。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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又草草履の嘉助の戦場レポート

足軽a-モブ(兵士)

 

嘉助(かすけ)は、又草草履(またくさぞうり)という奉公人で主人の騎馬武者に従い、ある戦場に出ています。合戦では、まず鉄砲の勝負、次に弓矢の勝負が始まります。徐々に射程距離の短い武器の戦いになり、間合いが詰まっていく様子が語られます。以下は嘉助の言葉

 

まず、敵味方互いに目付け(照準)出すやいなや、鉄砲の勝負が始まると

節分の豆をまくとおり、玉がはらめいてくると思えば、また弓の勝負が始まって

箸を投げ出すごとく矢と飛んでくるは、別はない

 

節分の豆をまくとおり、玉がはらめいている、箸を投げ出すごとく矢がとんでくる嘉助の目線から見た戦いの前哨戦が描かれています。

 

※はらめいているとは、パラパラと音を立てるの意味だそうです。

 

 

 

嘉助、主人に援護を申し出るも叱られる

 

さて、十分に間合いが詰まると、いよいよ騎馬武者同士の一騎打ちが始まります。嘉助の主人の武士は、所持した鉄砲を嘉助に預け、腰に下げておくように命じて自身は鎗を取って敵に向かっていきます。以下は嘉助の感想

 

互いにおっつめたところで、旦那が言いなさったは、この鉄砲を腰にひっつぱさめ

一番鎗を合わせべい、と云いなさったところで、左候はばわっち(私)めが

鉄砲鎗脇をおっつめ申すべい、玉薬(たまぐすり)(弾薬)を一はじき分くだされと述べたれば、

おのれが鎗脇は推参(すいさん)(でしゃばり)なやつだとて血目玉を出して叱りなさったにより、

是非なく見物してねまったれば、一番の鎗ががっちと合うと、

とうとうその敵を則突き殺し首を取りなさった。

 

 

嘉助は、鉄砲鎗脇(てっぽうやりわき)を願い出ていますが、でしゃばるなと大目玉を喰らっています。ちなみに鉄砲鎗脇は、騎兵である主人に背後から近づく敵の雑兵を狙撃して排除するという役割ですが、本来、このような役割は若党のような奉公人に限られ嘉助のような草履取りレベルの小者がやろうとすると叱られたそうです。

 

 

嘉助 主を狙う雑兵を仕留める

 

叱られた嘉助は、しぶしぶ戦見物を決め込みますが、結局、主人を狙う敵を鉄砲で討ち取り手柄を立てています。

 

以下は嘉助の言葉

 

おれもすけべい(すまい)と思ったが、いやいや旦那が敵の十人、廿人(にじゅうにん)

しかねる(仕留める)程な人でないと思って、わざとかまわないで

万一旦那に打って来る奴が有んべいならばそ奴をこの鉄砲ではるべいとおもって

昼寝したごとく目をひっぷさいでねまりいたれば、敵が一疋(いっぴき)旦那を打つべいとて、

妙丹柿(みょうたんがき)()んだごとくな砂鉢の男が刀を抜いて来る所で、狙いすまして

この鉄砲を以て撃ったれば仕合せと妙丹柿へまず目当てをぶちこんで、

即座に妙丹柿が成仏したところで、その柿のへたよりもぎりて取った。

 

 

主人に叱られた嘉助は、言われた通りに黙ってみていようかと思いますが、主人の腕では、十人や二十人は討ち取れないと、特に抗弁もせずに眠った振りをして主人に近づく敵を撃とうと目をつむっていると柿のように赤い顔をした砂鉢兜(すなばちかぶと)の男が刀を抜いて近づいたので、鉄砲で狙撃して射殺し、その首を取ったとしています。

 

旦那の腕前を大した事ないと見積もっていたり、敵兵の様相を砂鉢のようなザラザラした質感の兜を被った妙丹柿のような赤い顔のヤツと表現した所に、戦慣れした嘉助の様子が見えます。首を獲って欲を出した嘉助は、さらに鉄砲で敵を狙いますが、注意力を欠いて流れ矢にあたり負傷したそうです。

 

 

戦国時代ライターkawauso編集長の独り言

 

雑兵物語は、1673年から1684年頃に成立した書物で川越藩主だった松平信綱(まつだいらのぶつな)の子松平信輿(のぶおき)の作品とも、関ケ原や大阪の陣に参戦した小幡景憲(おばたかげのり)の作とも言われます。登場する三十名の雑兵は実在せず、実戦を経験した老兵の昔話や小幡景憲の場合には自身の経験を書いた可能性が高いです。その意味では、バーチャルではありながら戦場のリアルを兵士の目線から伝える一級の戦国史料と言えるでしょう。

 

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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