小栗忠順は幕末の財政再建と富国強兵で有名になりました。幕政改革を一手に引き受けたことで、思わぬ功罪が生まれました。この記事では、小栗忠順の幕政改革の功罪について取り上げます。
この記事の目次
小栗が大蔵大臣と呼ばれた理由とは?
最初に小栗忠順とロッシュとの関係について取り上げます。『小栗忠順とレオンロッシュ。最後までフランスが幕府を支援していた理由とは?』によれば小栗の旧知の通訳を通してロッシュと出会うことになりました。フランスの支援を得られたので、小栗は海軍力強化のため44隻の艦船を購入することができました。艦船以外では大砲や銃を大量に購入しています。フランスの支援で軍事力だけでなく経済にも力を入れました。横須賀製鉄所の建設と株式会社兵庫商社の設立に尽力しましたが、兵庫商社については大阪の有力商人から100万両という資金出資を受け設立された会社で、当時の設立資金としては別格でした。
幕府を一貫して守ろうとした小栗
なぜ小栗忠順は幕府を守ろうとしたのでしょうか。蝦夷地(北海道)を担保にしてフランスとの借款契約をしていることが理由の一つとして挙げられます。
他に考えられる理由として、徳川慶喜をトップとする政治体制で、江戸幕府の体制を修正しただけで近代化ができると考えたことが挙げられます。また、フランスがイギリスに対抗していたことも考えられます。小栗はフランスの支援によって東洋一の艦隊を短期間で作ったという経験から江戸幕府の封建主義的な体制を修正するだけでよいと考えたのかもしれません。
江戸城無血開城・その時小栗は「徳川埋蔵金」を隠した?
徳川埋蔵金と言えば、年末の特番で話題になっていました。特番で放送されますが、発掘調査しても埋蔵金は見つかりません。埋蔵金はどうなったのか気になります。考えられる説として、幕府には金がなかったことが考えられます。小栗はフランスの借款という支援で軍隊を作ったこと、兵庫商社への出資金が大阪の商人から募っていることを考慮するとこの説は有力であると考えられます。
江戸城明け渡しの直後から明治新政府は江戸幕府の政権機能の引き継ぐ形でスタートしました。大蔵省は幕府・勘定奉行からほとんど何も引き継ぎ資料を受け取れない状況でスタートしています。おそらく、不正な財政運営を見られたくなかった江戸幕府が証拠を隠滅した可能性が考えられます。
徳川埋蔵金が招いた悲劇・新政府が小栗にとった仕打ちとは
小栗忠順は江戸城無血開城後に自らの領地がある栃木県に移ります。江戸城無血開城後、江戸城の金庫を見た新政府軍は金庫が空であることに驚愕し、栃木県にいる小栗が埋蔵金を持ち出したと疑いました。
新政府軍は小栗を逮捕しますが、取り調べもしないで斬首しました。梟首という刑で首が晒されていました。新政府軍が小栗を嫌っていた理由として次のことが挙げられます。小栗の発案した優れた近代的手法は富国強兵で模倣せざるを得ない状況が予想されたため、その小栗の功績をあらかじめ消したかったからだと考えられます。また、小栗がフランスから多額な借金をするために北海道を担保にしようとしたことも小栗斬首の動機になったと考えられます。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は小栗忠順の功罪について取り上げました。小栗は勘定奉行で、老中より下の役職ですが、小栗の富国強兵など実績を見ると、フランスの公使ロッシュが大蔵大臣と間違えてしまうのも納得してしまいます。年末特番の徳川埋蔵金のきっかけが幕末の天才で勘定奉行の小栗忠順となっています。徳川埋蔵金については特番が少なくなり忘れられそうになりますが、今後の発掘調査にも注目したいと思います。
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