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信長も嫉妬?[高松城水攻めと甲州征伐の完璧な戦略]

2024年12月14日


 

 

 

羽柴秀吉は毛利家攻略戦を再開。彼は宇喜多家の相続問題を解決した後、毛利家と織田家の最前線である備中(びっちゅう)へ向かいます。彼は毛利家の備中の要衝である高松城(たかまつじょう)を攻略するべく、攻撃を開始しますが、高松城付近が沼地であったせいで攻撃は失敗に終わってしまいます。

 

豊臣秀吉 戦国時代2

 

秀吉は高松城が力攻めを行えば損害が増加していくことに気づいたため、高松城に対して水攻めを敢行するべく堤防工事を開始。彼は高松城付近に流れている足守川(あしもりがわ)を決壊して水攻めを行うことにし、足守川付近にある蛙ヶ鼻(かえるがばな)に堤防を立てるべく工事を行います。

 

明国制圧の野望を抱く豊臣秀吉

 

さて秀吉の水攻めは成功するのでしょうか。そして織田信長は宿敵であったあの大名を討伐するべく動き始めます。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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堤防工事を行う

 

秀吉は高松城を水没させて水攻めを行うべく蛙ヶ鼻に堤防工事を行います。彼は堤防工事を行っている最中に毛利軍の援軍や高松城の軍勢に攻撃されないようにしっかりと守備を行っていきます。高松城の守備兵達は秀吉軍が攻撃を仕掛けてこないことを不思議に思います。

 

彼らは秀吉軍が攻撃を仕掛けてこない理由として、雨が降っていることが原因であろうと考えておりました。秀吉軍が堤防工事を行っているとき、備中は梅雨の時期に入っておりかなりの雨が、降っておりました。高松城の城主清水宗治(しみずむねはる)は高松城付近に駐屯している秀吉軍へ攻撃を仕掛けようと城の重臣達へ図ります。しかし重臣達は秀吉軍へ突撃を行って敗北した場合のことを考え、高松城に篭城するべしと宗治へ説いておりました。宗治は重臣達の理解が得られなかったため、秀吉の軍勢に攻撃を仕掛けることを諦めてしまいます。

 

 

水攻め敢行

 

秀吉は高松城の兵士たちが攻撃を仕掛けてこないことを確認すると堤防工事を行っている人足達へ堤防を早く完成させよと急かします。秀吉に急かされた人足達は蛙ヶ鼻の堤防工事は19日程で完成。秀吉は堤防が完成すると足守川の氾濫を塞き止めていた堤を破壊して、川を決壊させます。足守川が決壊したため、高松城付近に川の水が流れ込むことになり、高松城は水没することになります。こうして秀吉が行った水攻めは成功することになり、秀吉陣営では大きな歓声が巻き起こったそうです。

 

毛利輝元・吉川元春・小早川隆景の援軍がやってくるも・・・・

毛利輝元

 

毛利家当主である毛利輝元(もうりてるもと)、毛利輝元を支えている毛利両川の吉川元春(きっかわもとはる)、小早川隆景(こばやかわたかかげ)は高松城を救援するべく毛利家の総力を挙げて出陣。吉川元春は高松城を望むことのできる岩崎山(いわさきやま)砦に到着し、小早川隆景は日差山(ひさしやま)砦に駐屯します。両大将は高松城を望むと驚きで声を上げることができませんでした。両大将が見た光景とは一体何なのでしょうか。

 

彼らは高松城が水没して高いところだけしか出ていない状態を見てしまうのでした。吉川元春の部隊の将校が「足守川をせき止めている蛙ヶ鼻へ突撃を行って、破壊してしまえばいいではないですか。」と元春へ進言。元春は「堤付近には羽柴秀長(はしばひでなが)、黒田官兵衛(くろだかんべえ)ら諸将がしっかりと守っており、もしここへ突撃をかけてしまえば、吉川軍は壊滅することになりましょう。

 

また羽柴軍へ攻撃を仕掛ける際、流れの激しい足守川を渡ってしまえば退却することも難しくなってしまいます。」と堤を攻撃した場合の不利をしっかりと教えます。小早川隆景も元春と同じように考えており、高松城救援が不可能であることを悟ってしまうのでした。

 

信長へ援軍を要請

足軽a-モブ(兵士)

 

秀吉は高松城を水攻めにして包囲戦を行うと安土のある人物へ使者を送ります。その人物とは織田信長でした。信長は秀吉の使者から「備中高松城に毛利の援軍が到着しており、かなり危険な状態です。ぜひ殿の援軍が必要です。ぜひ援軍を送ってくだされ」と信長にせっつきます。

 

戦国時代の合戦シーン(兵士モブ用)

 

なぜ秀吉は信長の援軍を求めたのでしょうか。秀吉の軍勢だけでも毛利の援軍と対等に戦うことが出来るほどの兵数が、あったにも関わらずです。その理由は信長の嫉妬を回避するためではあったのではないかとされております。この頃の信長は家臣が武功を立てないことに対して激怒するようになっており、石山本願寺(いしやまほんがんじ)を攻撃する司令官となっていた佐久間信盛(さくまのぶもり)は大軍を与えても石山を陥落することのできなかったため、追放してしまいます。

 

キレる織田信長

 

信長は武功を立てない武将にも激怒しておりましたが、武功を立てすぎる武将にも嫉妬していたようで、かなり面倒な状態になっていました。こうした気難しい信長の気性を知っていた秀吉は、信長に備中高松城攻略の仕上げをやらせて信長を持ち上げ、彼の嫉妬を回避しようした為、信長に援軍を出してもらうように要求するのでした。秀吉は信長が援軍に来ることを毛利へ流言として放ち、毛利軍の士気低下を狙います。しかし信長は彼の援軍要請を断ってしまいます。

 

 

甲州征伐の開始

 

信長は秀吉の使者へ「今武田家を滅亡させるほうがさきだぎゃ。だからおみゃ~に援軍を送っている暇はなんだぎゃ」と言って断ってしまいます。なぜ信長は武田家討伐へ向かうことにしたのでしょうか。毛利の高松城攻略戦よりも武田討伐を優先にしたのには理由がありました。それは武田家から寝返ってきた武将がいたからです。

 

 

武田家滅亡への道

武田勝頼

 

武田勝頼(たけだかつより)は長篠の戦いで織田・徳川連合軍にフルボッコにされた後、上杉と同盟して国力回復と武田家の改革へ乗り出します。

 

真田昌幸

 

彼は真田昌幸(さなだまさゆき)に命じて本拠地移転を敢行。彼は韮崎(にらざき)の地に新しい城を建築することにします。しかしこの新しい城を建築したことによって武田は崩壊していくことになるのです。その原因は新規の城を建築する際に民衆や武田領内の武将達へ重税が課せられたことにより彼らの不満が爆発。武田一門衆の筆頭であった穴山信君(あなやまのぶきみ)は、領土を接している徳川家康へ早々に内応してしまいます。また木曽谷(きそたに)に領土を持っていた武田家の木曽義昌(きそよしまさ)も織田信長に内応。信長は武田家の領内から内応者が出たことを喜び、すぐに武田討伐軍を編成して甲州征伐(こうしゅうせいばつ)に乗り込むことにします。

 

甲州征伐へ出陣

織田信忠に仕え従軍する蜂屋頼隆

 

甲州征伐戦の主力部隊となるのは信長の嫡男で、岐阜(ぎふ)城の城主となっている織田信忠(おだのぶただ)の軍勢が主力となります。彼は森長可(もりながよし)や川尻秀隆(かわじりひでたか)、滝川一益(たきがわかずます)らの軍勢を率いて出陣します。

 

信長は嫡男・信忠の軍勢後に出陣することに。そして彼は信忠の軍勢のほかに、長年の同盟者である徳川家康の軍勢を駿河口から攻撃を行わせることにし、関東方面からは北条家を誘って武田家攻撃を行わせることにします。こうして多方面同時侵攻軍が武田家へ襲いかかってくることになるのです。

 

 

戦国史ライター黒田レンの独り言

 

信長は武田家を討伐するため、秀吉の援軍へ向かうことを断ってしまいます。そして彼は武田軍を滅亡するためにこれだけ壮大な包囲網を敷いて、一斉攻撃を行うことにします。果たして武田軍は信長が行った多方面同時侵攻作戦を跳ね除けることが、できるのでしょうか。また秀吉の高松城包囲戦はどうなるのでしょうか。次回もはじめてのセンゴクに乞うご期待

 

参考 中公新書 信長の司令官 谷口克広著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

三國志が大好きです。オススメのマンガは曹操を描いた蒼天航路がオススメです。三國志の小説のオススメは宮城谷昌光氏が書いた三國志です。好きな食べ物はマグロ、ぶり、アジが大好きな猫です。

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