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[4月13日は平城京遷都の日]実は中国の都市設計が元ネタ!?

2025年4月13日


長安(俯瞰で見た漢の時代の大都市)

 

710年のこの日、元明天皇によって都が藤原京から平城京へと遷されました。日本史の授業でもおなじみのこの出来事、実は中国の都「長安城」をモデルにして設計されたことをご存知ですか?

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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碁盤の目に込められた“国家の意志”

 

平城京は、まるで囲碁の盤のように整然とした区画が特徴。これは当時の律令国家が理想とした「秩序ある国家運営」を体現したもの。建物や道路も中央集権的な思想を反映しています。

 

 

大仏や遣唐使もこの都から生まれた!

 

奈良時代の文化の中心である東大寺の大仏や、唐に渡った遣唐使も、すべてこの平城京からスタート。わずか74年間の都でしたが、日本史に与えた影響は計り知れません。

 

まとめ

 

今でも奈良を歩けば、平城京の名残がそこかしこに。タイムトラベル気分で古都を訪れてみませ。

 

 

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