史進は『水滸伝』に登場する108星の豪傑の1人です。背中に9匹の竜の刺青を彫っているところから、あだ名は九紋竜と言います。
『水滸伝』で最初に登場する豪傑は、この史進です。
今回は史進について解説いたします。
史進とはどんな人物なの?
史進は華州華陰県(現在の陝西省華陰市)史家村の豪農の1人息子です。幼い時から、武術には優れていました。
しかし、聞かぬ気が強いので母はその事を心配して世を去りました。
初登場時の年齢は18歳~19歳程度です。普通に過ごしていれば、ただの村長で終わっていました。
ところが、史進のもとに1人の男が現れました。
王進から武術を習う
その男は王進と言います。王進は都で禁軍(近衛兵)に武術を教える師範でした。
しかし、軍の最高責任者である高俅とトラブルになり都を追われていました。王進は旅の途中で史進の屋敷に立ち寄り偶然、武術の稽古中の史進に出会います。
史進の腕は筋が良かったのですが、どこか隙がありました。要するに史進の腕はアマチュアの世界では通用しても、プロの世界では通用しないのです。
「ハハハ、まるで著者(晃)の知識と一緒だな!」
読者の皆様の心に突き刺さる批判はともかく、話を続けます。王進からその点の指摘を受けた史進ですが、納得がいきません。
そこで史進は王進と一騎打ちを行います。
ですが、アマチュアがプロに勝てるほど世の中は甘くありません。史進はあっという間に負けました。
負けを認めた史進は王進に弟子入りを志願しました。
史進が並外れた実力の人物ではないので、王進は喜んで引き受けます。半年間のスパルタ特訓の末に史進は免許皆伝のレベルにまでなりました。
すべてを伝えた王進は史進の前から姿を消しました。
山賊の一味と疑われて出奔
王進が姿を消して半年後に史進は父の後を継いで村長に就任します。さて、史進が住んでいる史家村の近くに、少華山という山があります。
この山には3人の山賊が子分を従えて住んでいました。
総大将は朱武。軍略に長けていることから神機軍師と呼ばれています。副頭目は2人います。
1人目は陳達。谷間を跳ぶ虎という意味から跳澗虎と呼ばれています。もう1人は楊春。マムシという意味から白花蛇と呼ばれています。
ある日のこと、盗賊の1人の陳達が史家村に来て、役所まで略奪に行くので村を素通りさせてほしいことを史進に頼みました。
だが、史進は「そうはさせない!」と言って陳達に一騎打ちを挑みます。
勝負は史進に軍配があがりました。さすが王進から手ほどきを受けているだけあります。
その辺の山賊には負けません。
しばらくすると、朱武と楊春が謝罪に来ました。史進も陳達を殺す気は無かったので謝罪を受け入れて、それ以降は少華山の山賊と親しく付き合うようになりました。ところが、これがまずかったのです。
性根の腐った猟師が密告したので史進は役人に追われることになります。
仕方なく、史進は師匠の王進を捜す旅に出ます。
瓦罐寺の決闘
旅に出た史進はその後、渭州(現在の甘粛省の東部)で魯達という男と出会います。史進は魯達と意気投合しますが、彼はある親子を助けるために人殺しをします。
史進も魯達と仲良くしゃべっていたことから、役人から目をつけられました。史進って運が無いですね。しばらくの時が流れたある日、史進は林の中で1人の男が困っているのを見かけます。
それは渭州で出会った魯達でした。彼は役人から逃れるために出家していました。
名前も魯智深と改名しており、背中に牡丹の刺青をしていることから花和尚と呼ばれていました。魯智深は瓦罐寺にいる2人の盗賊を相手に決闘をしていたのですが、相手も強くて1人ではまったく歯が立たなかったのです。
そこで史進が加勢することに決めました。1人の共闘の結果、盗賊を討つことに成功します。
その後の史進
史進は王進を捜すも見つけることが出来ないので、朱武たちのいる少華山で山賊となりました。もちろん朱武から総大将の座は明け渡されました。梁山泊の入山は物語中盤であり、魯智深の入山の時期とほぼ一緒です。
もちろん、魯智深の推薦です。だが、活躍に関しては序盤に比べたらまったく全くありません。
モブキャラと言ってよいレベルです。
「これが本当にあの史進なのか?」と中学生当時の筆者は読んでいて疑いました。
最期は方臘の乱に出兵するも方臘配下の龐万春に弓矢で射られるというあっけない死に方です。
宋代史ライター 晃の独り言
以上、史進に関しての解説でした。
史進はあだ名がインパクトがあるためなのか、マンガ版の『水滸伝』でも絶対に詳細に書かれる人物です。
ただし、あだ名以上の活躍は無いのが事実でもあります。
要するに名前負けです。
また、マンガ家の大半も史進に力を注ぎすぎるためなのか、その後の話の作りが雑になっているのも事実です。
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