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羊羹、中国の伝統スープが日本で甘い[お菓子]になるまで

2024年1月30日


曹操

 

 

羊羹と聞くと、多くの日本人は繊細な甘みをもつ和菓子を思い浮かべるでしょう。しかし、この和菓子の起源は、なんと中国の羊肉を用いたスープ料理にあります。日本に伝わってからの羊羹の変遷は、文化と食の面白い相互作用を示しています。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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羊羹が日本に伝わったのは鎌倉時代以降

鎌倉時代 服装 男女

 

羊羹が日本に伝わったのは鎌倉時代以降のこと。中国の羊羹は、羊を煮込んだスープ料理でしたが、日本では仏教の影響により肉食が禁じられていたため、このレシピは大きな変化を遂げました。肉の代わりに、小豆を羊の肝の形に似せて蒸しあげ、それをスープに入れることで、日本独自の羊羹が生まれたのです。

 

さらに、この小豆を蒸しあげたものが、やがて和菓子としてお茶と共に供されるようになり、今日私たちが知る甘い羊羹の原型が形成されました。また、中国にも羊肝こうや羊肝餅と呼ばれる、和菓子の羊羹に似た甘いお菓子が存在し、これが日本に伝わって羊羹となったという説もあります。

 

鋳物師の看板を持って堂々と道を歩く職人(江戸・幕末)

 

羊羹のもう一つのバリエーションである煉羊羹は、江戸時代後期に誕生しました。もともとは小豆を蒸しあげることから始まった羊羹が、寒天を多く入れて固めた煉羊羹として独自の発展を遂げたのです。

 

 

日本の食文化の豊かさ

ご飯を食べる薩摩藩士

 

今日では、羊羹は日本の代表的な和菓子として広く親しまれています。その起源を振り返ることで、日本の食文化の豊かさと多様性を再発見することができます。次回羊羹を味わう際は、その長い歴史と文化的変遷を思い起こしながら、ぜひその深い味わいを楽しんでください。

 

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