NHKの大河ドラマ「光る君へ」第9話では、主人公の紫式部と藤原道長を繋ぐキャラクターである直秀が、検非違使に捕まり、鳥辺野で処刑される展開が描かれました。このドラマに登場する検非違使は、道長を捕まえたり、まひろを連行しようとするなど、極悪非道な振る舞いを見せますが、その正体は一体何なのでしょうか?
この記事の目次
検非違使の起源は?
検非違使という名称は、不法行為を検察する天皇の代理人を指します。平安時代には不法行為を「非違」と呼び、それを検察するための役職として「検非違使」が設けられました。この役職は律令の中には存在せず、検非違使庁に所属し、京都の治安と民政を担当していました。
検非違使の誕生理由は?
検非違使が登場したのは平安時代初期であり、その設置は816年に遡ります。当時、桓武天皇が財政難に直面し、国軍を解散したことで京都の治安が悪化したため、軍事と警察の組織として検非違使が設立されました。当初は専門の役所がなく、衛門府の役人が天皇の命令を受けて兼務していましたが、895年には左右の検非違使庁が設置されました。(後に左庁に統合)
なぜ検非違使が武士の憧れとなったのか?
検非違使は律令には存在しない新しい役職であり、当初は衛門府の役人が兼務していたため、身分に関係なく有能な人材が登用されました。そのため、平安初期には身分の低い武士たちにとって、検非違使は手柄を立て高位に昇進するチャンスと見なされ、憧れの職業となりました。例えば、源頼朝が伊豆で流人生活を送っていた時期、彼は検非違使庁のナンバー2の右兵衛権佐の肩書を持っていました。
検非違使の組織強化と武器としての序例
検非違使庁が設置された平安中期には、京都には刑部省や弾正台、京職などの他の官庁も存在していましたが、検非違使の活動は著しく拡大し、これらの役職を取って代わり、組織を強化していきました。その背景には、検非違使が刑事事件に関する独自の法である「序例」を作り、迅速かつ効率的に事件を処理していたことがあります。しかし、これは律令に反して一審で裁判を終結させたり、死刑相当の罪を科すなど法を逸脱する行動が目立ちました。
検非違使のガラの悪さの理由は?
ドラマで描かれる検非違使はガラの悪い連中ばかりですが、実際には公務員はわずか20名ほどしかおらず、治安維持を放免と呼ばれる元犯罪者に委ねていました。これは京都の治安を守るには人手が足りないためであり、放免たちはチンピラのような風貌で庶民を恐れさせました。
検非違使の組織構成
検非違使は別当と呼ばれるトップの長官に次官の佐、法律を担当する大尉と少尉、府生や看督長などの下級の職員からなります。その下には元罪人である放免がおり、その数は不明です。
武士の台頭と検非違使の衰退
検非違使庁は長い間京都の治安を守ってきましたが、平安時代末期には北面武士団に取って代わられ、更に鎌倉幕府が樹立されると衰退しました。その後、官位だけが残る名目上の組織として存続しました。
まとめ
以上が、大河ドラマ「光る君へ」で描かれる検非違使についての解説です。実際の検非違使は、放免と呼ばれる元犯罪者を使って治安を維持していましたが、彼らのガラの悪さや不正行為による逮捕など、ドラマで描かれる検非違使のイメージと実際の活動には類似点が見られます。検非違使は武士の憧れの職業であり、治安維持に貢献してきましたが、武士の台頭や新たな政府機関の設立によりその役割は次第に衰退していきました。
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