沖縄戦で失われ、長期間所在不明だった琉球国王の肖像画、御後絵4点がアメリカで見つかり、79年ぶりに沖縄県に返還されました。戦時中、アメリカ兵に持ち去られたと見られる御後絵はまだあり、今回の返還を契機に未発見の御後絵が見つかるのではないかと期待が高まっています。
色彩豊かで独特な御後絵
御後絵は沖縄の言葉でウグイと読み、貴人が亡くなった後に、その遺徳を偲んで描かれる肖像画の事です。日本の肖像画は体が正面向きで顔がやや横を向いている肖像画が多いですが、沖縄の御後絵は、国王を正面に大きく描き、周囲を群臣で固めるのがテンプレートになっています。国王の冠や衣服の色彩は極めて鮮やかに描かれ琉球絵画の粋を極めていました。御後絵の枚数は、戦前の歴史学者、眞境名安興の「沖縄一千年史」によると国王17枚、王子が1枚とされているので、全体では18枚が存在したと考えられます。
沖縄戦で紛失し残るのは白黒写真10枚のみ
しかし、御後絵は沖縄戦において紛失を避けるために旧国王の屋敷だった中城御殿から、別の宝物百点余りとともに持ち出され、排水路や高台など7カ所に手分けして埋められました。ところが戦後、これらの宝物は一つも残っていなかったそうです。幸い、御後絵の中で国王の肖像10枚は、戦前、写真家鎌倉芳太郎氏により撮影されていて、辛うじて姿を見る事は出来ますが、それらは白黒であり、本来の御後絵が持っていた鮮やかな色彩を知る術はありませんでした。
1953年アメリカで「おもろさうし」が発見される
御後絵は戦災で焼失したのか?それとも盗難されてどこかにあるのか?その答えは1953年にアメリカからもたらされました。かつて、御後絵と共に埋めていた琉球最古の歌集「おもろさうし」がアメリカで発見され沖縄に返還されたのです。この事からおもろそうしの近くに埋められた宝も戦後、アメリカ兵に持ち去られた可能性が高くなりました。
真栄平房敬さんの執念の捜索が実を結ぶ
かつて、宝物を埋めた人の唯一の生き残り真栄平房敬さんは、この発見から琉球王国の失われた宝物はアメリカにあると確信。2000年には80歳の高齢に鞭を打ち、沖縄県の元学芸員だった萩尾俊章さんと共にアメリカを訪問。FBIやインターポールに沖縄の美術品の捜索願を出し、さらにFBIの勧めで「盗難美術品リスト」に失われた琉球の宝物を登録しました。真栄平房敬さんは、2015年、帰って来た御後絵を見る事なく亡くなりますが、2023年アメリカの退役軍人の遺族が遺品を整理していた時、屋敷の屋根裏で段ボールに保管されていた22点の骨董品を発見。FBIに問い合わせた所、22点の中に御後絵4枚が含まれている事が判明し、今年沖縄県に返還されたのです。盗難美術品リストに登録しても個人が所蔵している場合、発見は難しいとされている中で今回の発見は奇跡でした。返還された御後絵は、今後の琉球国時代の美術研究に役立てられるそうです。
まとめ
沖縄県は琉球国という独自の政体を持ち、中国との交易も長期間途絶えなかった事から、多くの特色ある文化材が沖縄戦が始まるまでは残っていました。しかし、それらの多くは戦争で灰となり、戦火をくぐりぬけた沖縄の文化材も戦勝国となったアメリカ兵のお土産探しと称する略奪で失われてしまいました。失われてしまったものは仕方がありませんが、今でもアメリカに残っている沖縄の宝があるのなら、一点でも多く、沖縄県に戻ってくる事を願ってやみません。
▼こちらもどうぞ