『江藤新平の功績を知ろう、「この国のかたち」』では、民権論者の江藤新平が取り上げた身分に関係なく政治家の不正を訴えることができる制度を作り、その制度が適用された事件で有名になりました。江藤新平に汚職事件を追及され辞職に追い込まれた政治家では井上馨や山県有朋が挙げられます。この記事では明治国家の汚職事件と井上馨の政治とカネの問題について取り上げます。
汚職がなかった明治国家?
明治国家は汚職がほとんどなかったと言われています。国民国家とは国民が自己と国家を同一視していることから汚職をすると自分の身にはね返り、汚職は自分を卑しめることになると考えられてきました。明治国家において人々が汚職をすると自分を卑しめるという精神を守ってきました。それが明治国家の成功につながったと言われている要因の一つとなっています。
現代では政治とカネについてメディアで報道されていて、明治国家で汚職がなかったと言われると実感が沸かない人がいると思います。佐賀の乱や西南戦争まで不平士族は武力で明治政府に抵抗しましたが、西南戦争から言論による政府への批判が盛んになりました。
明治政府は政府を批判する活動を取り締まるための法律を制定します。具体的には讒謗律や新聞紙条例という名前で法律が制定されました。以降、第二次世界大戦後まで帝国大学の教授を停職処分にした言論弾圧や共産主義者を逮捕した事例が数多く見られました。このように政府に反対するまたは批判するメディアの活動を制限したことで汚職事件が表に出てこなかったと言えるかもしれません。
井上馨の汚職事件「尾去沢鉱山事件」って?
井上馨の汚職事件といえば尾去沢鉱山事件をあげる人が多いと思います。『江藤新平VS井上馨』によれば、江藤新平は身分に関係なく政治家を訴える制度・司法省達第46号を制定しました。この司法省の政令による被害者からの訴えで井上馨の汚職事件の摘発に踏み切りました。この汚職事件の経緯は次の通りです。
戊辰戦争で南部藩は負け、賠償金を御用商人村井茂兵衛が立替えました。村井は廃藩置県を経て大蔵省に返済を願い出ましたが、当時井上の独裁だった大蔵省は言いがかりをつけて尾去沢鉱山を含む村井の財産没収という暴挙に出ました。没収された村井の財産のうち尾去沢鉱山は競売にかけられ、安値で長州の政商が落札しました。その落札した政商は実質井上馨の個人所有であることが明らかになり、問題になりました。
江藤は太政官会議で井上の逮捕を主張しますが、薩長の軍事力が支えている明治政府の現状では逮捕は無理と言われました。井上は辞職することになりました。この汚職事件は尾去沢鉱山事件と言います。
井上馨のお金の話
井上馨といえば、不平等条約の改正のために外務卿(外務大臣)時代に極端な欧化政策を進めた人物として思い出す人がいると思います。井上馨のお金の話といえば、尾去沢銅山事件など政治とカネの問題で晩節を汚したという印象を受ける人もいると思います。
井上馨は政治とカネの問題であまり良い印象はありませんが、井上馨とお金の関係について取り上げます。井上馨はエリートの武家出身で、経済に関係のない身分でした。井上は経済への造詣が深い人物として知られていますが、経済眼が身についたのは明治維新の時であると言われています。井上は民間企業の育成に力を入れました。井上馨といえば極端な欧化政策や汚職事件という印象を受けますが、経済眼を持っていたことや商売上手の一面があることも分かりました。
「汚職・腐敗がない国ランキング」日本は何位?
汚職・腐敗がない国ランキングがインターネット上で公開されています。国別の腐敗認識指数を政府・政治家・公務員などの公的分野での腐敗度を11の機関が調査した13種類の調査報告に基づいてスコア化し、評価しています。評価した点数が高ければ高いほど汚職・腐敗がないことを意味しています。1位ニュージーランド、2位デンマーク、3位スイスで、ノルウェーやフィンランドなどが上位です。
報道の自由や情報公開が徹底されているという印象を受けるかもしれません。日本は第20位でした。上位の国から10ポイント程度離されているので情報公開の面で課題が残っていると言えるのかもしれません。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
この記事では、欧化政策や尾去沢銅山事件など井上馨の負の一面と民間企業の育成に力を入れた商売上手の井上馨を取り上げました。明治時代の政治家で経済に力を入れた政治家について注目したいと思います。
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