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西郷どんの流刑生活が意外と快適だった?[奄美大島での秘密]

2024年7月18日


 

 

 

NHK大河ドラマ西郷(せご)どん、舞台はいよいよ西郷隆盛(さいごうたかもり)の人生を変えた場所、奄美大島(あまみおおしま)に移りました。およそ160年前、実際に西郷どんが暮らした奄美大島には、ゆかりの場所やモノが沢山残されているのです。はじめての三国志では、奄美大島に残る西郷どんの足跡を紹介します。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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奄美大島にやってきた西郷どんの舟を繋いだ西郷松

 

西郷どんは1859年、奄美大島の龍郷(たつごう)阿丹崎湊(あたんざきみなと)という場所に上陸します。海岸には大きな松の木があり、舟を係留していたそうで、この松は西郷松(さいごうまつ)と呼ばれていました。残念ながら松は2011年には枯れてしまい現在は根元だけが残ります。

 

西郷どんは、甘いモノが好きで、奄美大島に居た頃にも、やや甘みがある椎の実を焼いてい食べていたそうで、西郷松の裏手には、西郷どんも食べた椎の実を練り込んだ西郷松せんべいを売っている西郷松本舗というお菓子屋さんがあります。椎の実煎餅は100円とかなりお手頃な価格で購入できます。

 

 

 

西郷どんと愛加那の愛の巣 西郷南洲謫居跡(さいごうなんしゅうたっきょあと)

 

西郷隆盛は奄美大島に流されてから、三度住居を変えていましたが、その三番目にして最期の住居になったのが、妻になった愛加那(あいかな)と過ごした西郷南洲謫居跡(さいごうなんしゅうたっきょあと)です。愛加那と祝言を挙げて、一男一女に恵まれた西郷隆盛は、手狭になった間借り生活をやめて、家を構えるのですが、それが、西郷南洲謫居跡と言われています。西郷どんは家の設計から関り、村をくまなく歩きまわり台風の風が当たらないこの場所を住居に定める程の熱の入れようだったそうです。

 

薩摩に帰りたい気持ちがあった西郷どんも、家族が出来た事で、奄美大島に骨を埋める気になっていたのでしょう。

 

 

 

ところが家が造られてから間もなく、西郷どんには帰還命令が出て家族水入らずで新居で過ごす事はありませんでした。現在、西郷南洲謫居跡は愛加那の子孫、龍家の人々が管理していて、見学する時には、予約が必要なので注意して下さい。

 

 

 

西郷どんを複合的に学べるりゅうがく館

 

2017年の4月1日にオープンしたのが、生涯学習センターであるりゅうがく館です。元々、町民の生涯学習の拠点として建設されたのですが、コーナーの一つに西郷隆盛エリアがあり3年間を奄美大島で過ごした西郷隆盛ゆかりの品々が展示されています。西郷どんがお世話になった人に贈ったどんぶりや、愛加那の(かんざし)、息子の菊次郎(きくじろう)に西郷が送った手紙などが展示されているそうです。

 

 

 

西郷どん18話のロケ地 園家の庭園

 

かつて、琉球からの役人をもてなした園家(そのけ)の庭園は、昔ながらの住居と見事な庭園を持ち西郷どん18話のオープニングロケにも使われました。邸宅は国指定登録有形文化財、庭園は奄美市指定文化財という見事なものでドラマでは、西郷どんと愛加那が初めて出会うシーンでもあります。ただ、個人所有の建物なので、いきなり行っても入れません。連絡は奄美市紬観光課TEL 0997-52-1111です。

 

 

 

 

西郷どんOPの雄大な景色はココ 奄美大島宮古崎

 

西郷どんのopで流れる雄大な緑と海の景色も奄美大島にあります。奄美大島の中心地の名瀬から、車で30分にある岬で東シナ海の絶景と笹の草原が広がる絶景ポイントです。

 

 

幕末ライターkawausoの独り言

 

西郷どんの敬天愛人、自己も他人も分け隔てず平等に扱うという思想は奄美大島の3年間で、その下地が造られたと言われています。

 

正座をしている島津斉彬

 

島津斉彬(しまづなりあきら)の藩政の下で強くなっていく薩摩、しかしその土台で搾取(さくしゅ)され続けた奄美の人々に接する間にエゴを排して弱者の立場に立つという西郷どんの考え方が強化されたんですね。今でも西郷どんの足跡が残る奄美大島、ドラマと(あわ)せて訪ねてみると、意外な発見があるかも知れません。

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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