ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく「ろひもと理穂の天才軍師の条件」のコーナーです。
軍師というと、戦場での駆け引きだけでなく、国全体の方針にも大きく係わる重役です。人心の掌握が巧みであり、兵法をはじめとした諸学にも通じており、広い視野と先を見通す力が必要不可欠になります。では、そこに「天才」という枕詞がつくとどうでしょうか。天才軍師と呼ばれる英雄たちから共通点を探していきましょう。
天才軍師・諸葛亮孔明
天才軍師といえば一番に思い出されるのは諸葛亮でしょう。これは三国志の読者であれば常識化している話ですね。実際のところ劉備(玄徳)亡き後は、政治・外交・司法から戦争に至るまでほとんどの分野で指揮をとっていたのが諸葛亮です。鎧や武器の開発まで行っています。
聖徳太子は一度に十人の話を聞き取ったと伝わっていますが、諸葛亮は一人で十人分の仕事を担当していたといえるでしょう。しかし悲願である魏の討伐は果たせずじまいです。魏から奪った領土もわずかなものでした。そこから考察すると、天才軍師とは「目的を果たせなくても問題なし」ということになります。つまり天才軍師は「必勝」でなくてもいいわけです。
天才軍師・司馬懿仲達
諸葛亮のライバルに魏の司馬懿がいます。諸葛亮の北伐を何度も防いだ天才軍師です。
三国志の中では極めて重要な人物であり、「曹操にその才能を恐れられ」「曹丕に信頼され」
「諸葛亮と互角の戦いをし」「魏で最大権力者となり」
「孫が晋を建国し三国志を終焉に導く」という主役級の役割を演じています。
しかし諸葛亮には勝っていないのです。やはり「勝利に導く」ことは天才軍師の必須条件ではないようです。では諸葛亮と司馬懿に共通するものは何なのでしょうか?
それはおそらく「決定的な敗北をしない」ことでしょう。「勝敗は兵家の常」です。誰だってときには失敗もします。天才発明家と呼ばれるエジソンも失敗ばかりだったと伝わっています。現代の有名な億トレーダーだって、10回トレードしたら5回は負けるのです。ポイントは「負けたときや損失を出したときに最小限に抑えることができるリスクマネイジメント」ではないでしょうか。
天才軍師・黒田官兵衛
では日本の天才軍師も確認してみましょう。黒田官兵衛が知略に優れていたことは戦場での活躍からも見て取れますが、それだけでは天才軍師とはいえません。黒田官兵衛に関する逸話にはこのようなものがあります。
豊臣秀吉が家臣らに「自分が死んだ後に天下を獲るとしたら誰か」と質問したところ、家臣らは徳川家康や前田利家の名前を出しましたが、豊臣秀吉は黒田官兵衛だと答えました。それだけの才覚が黒田官兵衛にあったということですが、それを聞いた黒田官兵衛は「危うき」と感じて剃髪し、如水と号したそうです。自分が高く評価されたことを喜ぶことよりも、リスク管理を優先したわけです。
天才軍師・大村益次郎
長州戦争や戊辰戦争などで兵を指揮し、類まれなる軍略を披露した長州藩士の大村益次郎も、やはりリスク管理について常に意識をしていたようです。策によって敵陣が乱れるのを待ち、自分の兵が無駄に負傷せぬような戦い方をしたと伝わっています。日本陸軍の創始者的存在ですから収入は人並み以上だったでしょうが、趣味である掛け軸を収購入する際も、自ら決めた金額のラインを上回るような物は決して買わなかったそうです。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
天才軍師には、戦場で策士としての才能を発揮するだけでなく、「負けないための戦略を構築する力」「負けても損失を最小限に抑える計算力と精神力」が必要なのではないでしょうか。だからこそ周囲の信頼を得ることができ、軍師として重宝されたのでしょう。
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