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[5月14日は紀尾井坂の変]明治日本に衝撃が走る暗殺事件

2025年5月14日


大久保利通 幕末

 

 

1878年5月14日、東京・紀尾井坂で、日本初の内閣制度に影響を与えた大久保利通が暗殺されました。明治維新の立役者として近代国家建設を進めていた彼の死は、日本に大きな波紋を広げました。

 

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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犯人は元士族、動機は“政府批判”

 

実行犯は不平士族の集団「士族反乱」の一部で、維新後に冷遇された旧武士たちでした。急速な近代化に不満を募らせ、旧来の武士道精神の復活を求めていたのです。

 

 

 

坂の名前に残る事件の記憶

 

「紀尾井坂」は紀伊・尾張・井伊の屋敷が並んでいたことから名付けられた地名ですが、今では「紀尾井坂の変」でその名を知る人も多い歴史スポットとなっています。

 

 

まとめ

 

“維新の英雄”が暗殺された坂道。その背景には急激な変革に取り残された者たちの怒りがありました。現代の紀尾井町を歩くとき、彼らの思いに思いを馳せてみてはいかがでしょうか?

 

 

 

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