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[7月16日は清州会議が行われた日]たった一度の会議が日本の未来を変えた!

2025年7月16日


清須会議に参加する池田恒興 柴丹羽長秀、羽柴秀吉、柴田勝家

 

1582年7月16日、本能寺の変で織田信長が討たれた後、その後継と領地配分を巡って「清州会議」が開かれました。出席者は羽柴秀吉、柴田勝家、丹羽長秀、池田恒興。日本史に残る“政変後の大決断”の舞台です。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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秀吉が仕組んだ巧妙なシナリオ?

清須会議b 丹羽長秀、羽柴秀吉、柴田勝家、池田恒興

 

この会議で注目されるのが、信長の嫡孫・三法師(のちの織田秀信)を後継とし、実質的に秀吉がその後見人となった点。これにより、秀吉は織田家の主導権を事実上掌握しました。

 

 

 

戦国の“会議”は命がけの心理戦

 

会議といっても、現代のようなホワイトボードとコーヒー片手の話し合いではありません。各勢力の腹の探り合い、力関係の計算、まさに命運を懸けた心理戦でした。

 

 

まとめ:清州会議がなければ、豊臣政権もなかった!?

 

この会議がなければ、秀吉が天下人になることもなかったかもしれません。一度の“会議”が、歴史をここまで動かすとは驚きですね。あなたが出席したい歴史的会議はどれですか?

 

 

 

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