ハイ、それでは、三国志の世界をいろいろな角度から掘り下げていく
「ろひもと理穂の三国志そう言えばいた、あんな一発屋」のコーナーです。
前回、外交交渉能力最高賞を決定しましたが、実はその後で、
外交で活躍した文官はまだまだいたなーって反省する結果になってしまいました。
武将や軍師は記憶に残っているんですが、文官は印象が薄いんですよね。忘れていました。
本当に申し訳ありません!
と、いうことで今回は「三国志の名外交官」を追加してお伝えしていきます。
前回登場しなかった皆さんの大好きな外交官も登場してくれればいいのですが。
前回記事:日本の外交官も参考にすべき?三国志の外交交渉能力ベスト10
劉備→孫権 使者・伊籍(いせき)
伊籍は有名なのでご存知な方も多いと思います。荊州の劉表に仕えていた男です。
孫権も伊籍の能弁ぶりを聞いていたので、使者として訪れたときに意地悪なことを言います。
伊籍が拝礼して立ち上がった際に「苦労して無道の主に仕える必要はあるまい」と話しかけます。
伊籍は「いえいえ、一拝一起に何の苦労がありましょうか」と答えました。
つまりたった今、拝礼した相手が無道の主ということになるのです。
主君の劉備の尊厳を保つこの切り返しに孫権は感心します。
伊籍は機知が優れていたのですね。
孫権→曹丕 使者・趙咨
孫権が曹丕に帰順して呉王となったときの使者が趙咨です。
意地悪な曹丕に「孫権を滅ぼそうと思っているが」と言われて、
「100万の兵がいて、長江や漢水を池のようなものに感じている我らが
恐れるとお思いですか?」と答えました。
曹丕や魏の文官たちはその口上と姿勢に感心したそうです。
孫権のもとに戻った趙咨は曹丕と結んでいても長くは続かないので、独立すべきだと報告します。
呉の使者はなかなか命知らずで能弁な外交官が多いですね。
孫権→劉備 使者・鄭泉
夷陵の戦いで大敗を喫した劉備は成都に戻らず、白帝城にこもっていました。
反省の気持ちが強かったようですね。病弱にもなったようです。
そんな劉備のもとに向い、今後について話し合ったのがこの鄭泉です。
かなり気をつかったのではないでしょうか。
とてつもなく他人を思いやることのできる人にしかできない役目ですね。
ここで劉備も納得したので、死後、諸葛亮孔明の指示のもと蜀と呉は再び同盟を結ぶことができました。
一番難しい場面で外交交渉したのがこの鄭泉なのです。凄いです!
劉禅→孫権 使者・陳震
孫権が呉の皇帝となり、蜀と共に魏を倒そうという約定を交わしたときの使者が陳震です。
魏を討ち滅ぼした後は、蜀は幷州・冀州・涼州・兗州を加え、
呉は徐州・青州・幽州・豫州を加えるという割譲の約束もしています。
ちなみに司隷は半分ずつという内容でした。
蜀と呉の不可侵条約を締結したのが陳震なのです。
確かにこれ以降、蜀と呉は領土問題を起こしていませんね。
見事な外交交渉です。
劉禅→孫権 使者・李密
孫権は使者に対してけっこう意地悪です。
蜀の李密が呉に訪れたときに、「兄と弟のどちらがいいのか」という質問をしました。
もちろん孫権は弟だと言います。理由は自分が孫策の弟だからです。
しかし李密はそれを知っていながら、兄であると答えました。
理由は兄の方が親を長く養えるからだそうです。
忠より孝が大事であると言われていた時代です。
孫権を含め、呉の文官らもみなその答えに納得し、称賛したそうです。
三国志ライター ろひもと理穂の独り言
皆さんはどれくらい知っていましたか?
かなりマニアックなキャラが多いですね。そーいえばゲームで見たかも!みたいな。
しかし、こうなると前回発表した
「外交交渉能力ベスト10」は入れ替わってしまうのでしょうか。困りました……。
この五人ともに凄い外交官ですよね。
皆さんはどうお考えですか。
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