新撰組の「鬼の副長」として恐れられた土方歳三の勇気が湧く名言を紹介していきます。豊かな農家の末っ子として生まれ自ら侍となることを望み、そのように生きた土方歳三の名言です。生死の狭間を潜り抜けてきた男の名言を解説していきます。
この記事の目次
こちらは有限敵は無限、必ず負けるが「無様」には負けぬ
土方歳三は新撰組の生き残りを率いて戊辰戦争、最後の戦いである「函館戦争」に旧幕府軍の一員として参加しました。五稜郭の補修、篭城の準備をしていく中、官軍の海軍が函館上陸を目指しやって来た日です。
土方歳三は、官軍迎撃のために、衝鋒隊二小隊 伝習隊二小隊を指揮して大野防衛に向かいました。そのとき「我が兵は限り有るも、官軍は限りなし。一旦の勝ち有りと雖も、その終には必ず敗れんこと、鄙夫すらこれを知れり。然るに吾れ任ぜられて、若し敗れるようなことあれば則ち 武夫の恥なり。身を以てこれに殉ずるのみ」という言葉を残しています。
圧倒的な兵力を誇る官軍に対し、孤立無援の旧幕府軍は援軍を期待することも出来ない状態です。現代風に言えば以下のような意味でしょう。『一時的な勝利はあるかもしれないが、最終的には負けるだろう。しかし、戦の指揮を任されたならば、敗北は侍の恥である。であるならば、死ぬまで戦い続けるのだ』勝てぬと分かっていても、侍であるならば死ぬまで戦う。敗北が分かっている中でも、死がくることが分かっていても戦うということを決意する痺れるような言葉です。
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あの月は明日骸になった俺を照らしているかもなァ
土方歳三の新たな辞世の句ではないかとして最近発見されたのが「鉾とりて月見るごとにおもふ哉 あすはかばねの上に照かと」という和歌です。この史料となる和歌集が発見されたのは2011年とかなり最近のことになります。函館戦争を生き延びた者の証言から、土方歳三らの旧幕府軍は、総攻撃を受ける前夜に惜別の宴を開き、その中で、詠まれた物ではないかとされています。この和歌集には、降伏後の無念さを語る和歌もあり、函館戦争に参加し敗れて行った者の無念を感じさせるものです。
『槍をとって、月を見上げるごとに思う。明日は己が骸となり、それを月が照らすのであろうかとーー』
エンタメの主人公が口にしそうな心に響く言葉です。土方歳三は、司馬遼太郎先生には「俳句が下手」といわれますが、この辞世の句ともいわれる和歌は言葉のセンスの良さを感じてしまいます。
肉体は滅びても魂は留まってきっと日本を守ろう
土方歳三の辞世の句と長らく言われてきた句が「よしや身は蝦夷が島辺に朽ちぬとも魂は東の君やまもらむ」です。
現代風な意味ではーー『たとえ我が身が蝦夷の島に朽ち果てようと、己の魂は「日本」を守り続ける』このような意味でしょう。東の君は、一部に故郷に残した家族のことではないかという説もありますが、一般的な解釈をすれば、「東の君」は君主である将軍家、最後の将軍である徳川慶喜を示すというのが無理がないことになります。
官軍が天皇を抱え込み、自分たち旧幕府軍が官軍に「賊軍」とされていることは、土方歳三は十分承知しています。そして「賊軍」された旧幕府軍でも、決して自分たちが天皇に背いているとは思っていません。幕末の政治思想の佐幕と尊王は完全に対立するものではなく、佐幕をベースとした尊王も十分にありえた考えなのです。
その中で、君を天皇に例えそれを「日本国」の象徴とする考えであったとする意味にもとれます。土方歳三は、肉体が滅びても、日本を守ると言う意味で「東の君」と言う言葉を使ったのかもしれません。この「東の君」の意味には多くの解釈があり、和歌や俳句の技法である「懸詞」と言う複数の意味をひとつの言葉にもたせる技法を使ったのかもしれません。
俺は白が好きだ、どこまでも潔いじゃねェか・・
土方歳三は将軍警護の浪士隊に志願するため試衛館の仲間とともに京都に向かいます。その直前残した句集「豊玉発句集」に掲載されている句が「白牡丹月夜月夜に染めてほし」と言う句です。土方歳三は、清さ、潔さを象徴する白が好きだったようです。この句も白い月光の中で、更に白さを増していくような白牡丹の姿が浮かんできそうです。
新選組は大義があれば愚痴はないが、この戦に大義はねェ暴挙よ・・
土方歳三の名言は彼が死を迎えることになる函館戦争の最中に語られたものが多いです。「法 可シバ 命ニ愚痴ヌド 持タズ義 微言ワバ 暴ラ 没義ク 」函館戦争も終局が見え、すでに敗北は避けられない運命がとなったときに土方歳三が語った言葉です。現代風の意味としてはーー『法が許すのであれば、命令に愚痴はない。しかしすでに大儀がない、暴挙だ、大義のない戦だ』
指揮官として戦いながら戦争を俯瞰していた土方歳三には、函館戦争で負け行く旧幕府軍を含めた新撰組の生き残りが大義のない戦の中で、暴徒のように戦っているだけだと冷めた言葉を残しています。土方歳三の胸のうちにあった愚痴ともいえるものが、言葉としてこぼれだしたのでしょう。
降ったそばから消える命もあるんだなァ
土方歳三の句集「豊玉発句集」は41句の自作の俳句が掲載されています。多くが情景に土方歳三の心情を乗せた表現がされた句となっています。モテモテ男だった土方歳三ですので、恋の句もあります。ただ、その41区中でも歴史的事件を受けて詠んだ句が1句だけあるようです。「ふりなからきゆる雪あり上巳こそ」と言う句です。
「上巳」は旧暦の3月のことです。「桜田門外の変」で井伊直弼が暗殺されたと言う歴史的事件をリアルタイムで知って詠んだ句です。雪が降る中、消えていく雪と、消えていく命を重ねて詠んだのでしょう。その後、井伊直弼暗殺の根本理由となった「攘夷」を考え、京都に潜む攘夷志士との戦いに実を投じることになるのを、このときの土方歳三は知りえなかったでしょう。
幕末ライター夜食の独り言
土方歳三は、敗北の決定的な函館戦争の中で、多くの名言を残しています。時代の激動の中で、命を削り、最期のときが近づいていくのを感じていたのかもしれません。私は土方歳三のまだ故郷にいた時代に詠んだ俳句「梅の花一輪咲てもうめはうめ」というのが凄く気になってしょうがないです。
土方歳三の句集「豊玉発句集」に掲載されている1句です。もう、見たままを詠んだ感じもしますが、その後の彼の運命を重ね合わせるとなんとも、深読みできてしまう句だと感じています。