佐久間象山は、幕末期を代表する洋学者です。時代を飛びぬけた天才という評価がある一方で、あまりに尊大で自信過剰なことから、奇人と評されることもあります。佐久間象山は、幕末期に活躍した多くの人物を門下に持ち、福沢諭吉をして明治日本の魁となった人物と言われています。今回は、天才にして奇人の佐久間象山の名言を紹介していきます。
この記事の目次
失敗するから成功がある
佐久間象山は大砲の製造において高い評価を得ていました。当時日本最高の砲術や兵学を江川英龍の下で学び、西洋流砲術家として名をなしていたのです。そんな、佐久間象山に松前藩から大砲の注文が来ました。そして、佐久間象山は大砲を鋳造し、江戸で演習を行いました。しかし、その大砲は砲身が爆発、完全な失敗作となったのです。松前藩からは費用が無駄になったと批難轟々、演習を見物していた江戸の人たちは大爆笑です。「大玉池 砲を二つに 佐久間修理 この面目を なんと象山」という落首があります。象山の失敗を笑ったものです。
「大玉池」は象山の住んでいた「お玉が池」をおおたまげにかけている洒落です。「なんと象山」は「なんとしよう」の洒落でしょう。このような大失敗にも関わらず、象山は平然としたものでした。そこで言ったといわれるのが「失敗するから成功がある」という言葉です。逆にもっと私に研究費をよこして、大砲の研究をさせるべきであると堂々と言い放ったといいます。
恐るべきポジティブさというか、神経の太さです。ただ、失敗があるから成功があるという言葉は象山らしい合理性も感じさせる言葉です。
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天下の大計を知らず、国の財用を費やし、以てこの無益の務をなすは、そもそも何ぞや
佐久間象山は黒船が来航時点では、強烈な攘夷論を展開していました。当時の老中・阿部正弘に対し、江戸を火の海にしても徹底抗戦すべきであるという過激な提案を行っています。ただ、象山の根底あるのは、徹底的な合理性であり4隻の黒船では大したことなどできはしないという計算もあったのでしょう。そして、佐久間象山の合理性は幕府の海防計画に対しても苦言を呈することになります。
「天下の大計を知らず、国の財用を費やし、以てこの無益の務をなすは、そもそも何ぞや」
これは幕府の海防計画に対する批判の言葉です。
天下の大計とは、いわゆる「国防の目的」のことでしょう。外国船を撃退し国を守るという目的があるからこそ、沿岸に大砲を設置して外国船に備えるわけです。しかし、現実に設置された大砲が射程が足らず、外国船の撃退という目的を達成できそうなものではなかったのです。貴重な国の財源を使って、役に立たない大砲を並べて何になるのか?という批判です。
人間らしくしていては金持ちにはなれぬ
佐久間象山の奇人ぶり、それを言ってしまっては実も蓋もないだろうという言葉が「人間らしくしていては金持ちにはなれぬ 」です。言葉通りに受け止めれば、人間らしくないことをしなければ、金持ちにはなれないというのは確かにある真実の一面を突いている言葉でしょう。
人間らしいといわれる「情」に流されていたら、中々金持ちになれないのは、幕末も現代も同じだったのでしょう。そして、もっと深く考えてみればどうでしょうか。「人間らしい=平凡である」ということを象山は言いたかったのではないでしょうか。
他人と同じようなことをしている人間は金持ちにはなれない。非常識と思われても挑戦する人間が成功して金持ちになることもあります。今の時代も、平凡にただ、給料をもらっているだけでは中々金持ちになることはできません。金持ちになりたないなら、人間的な部分を切り捨てて、勝負しなければいけないという金を儲けることの厳しさを端的な言葉で、表現したのではないでしょうか。
自然とわが国を恐れ、つけいる気をおこさせないのが最上の策である。
佐久間象山の「自然とわが国を恐れ、つけいる気をおこさせないのが最上の策である」これは今で言う「抑止力」としての軍備の重要性を説いた物でしょう。孫子の兵法にも、戦うことよりも戦わず目的を達成することの方が上策であるという言葉があります。当時の教養人として佐久間象山が孫子の兵法を知っていた可能性は高いでしょう。
国の安全保障は、相手に警戒させ、戦争を選択させないことが、重要であることは、20世紀以降の歴史が証明しています。軍備は決して戦争をするための道具ではなく、相手に警戒させ戦争を起こさせないための道具なのだということを、佐久間象山は幕末の時代に語っているのです。
学問は日々積み重ねられなければならない。
「学問は日々積み重ねられなければならない。一朝一夕で成るものではないことを肝に銘じるべし」
この佐久間象山の言葉は、個人においても成立する言葉です。また、似たような名言を残している人は多くいますし、努力を積み重ねる重要性は普通に分かることです。ここで、少し視点を変えてみます。個人ではなく、日本という国家に置き換えてみます。象山のこの言葉は、個人ではなく、西洋文明を受け入れようとしていた日本という国家に対する言葉のようにも見えてきます。日本は、明治以降、必死に西洋文明を取り入れて、近代化をなしていきました。それはある意味大成功であったといえるかもしれません。
しかし、日本が太平洋戦争に敗れたとき、日本を代表する科学者であった八木秀次博士(レーダーアンテナ発明者)が、日本は西洋科学の実利だけを求め、基本的な科学を考える精神ができていなかったという言葉を残しています。西洋に追いついたと思い込んでいた日本はまだまだ、学ぶべきことが多くあったのです。佐久間象山の言葉は、その後の日本が歩んだ歴史に対する警告のような言葉のようにも感じられます。
幕末ライター夜食の独り言
佐久間象山は、その実績や同時代の人に与えた影響に比べ、知名度はいまひとつ高くありません。非常に自己評価が高く、大言壮語の傾向があったことで、あまりよく思われていなかったといわれています。実際、妹を佐久間象山の後妻に出した勝海舟も、大口をたたきすぎるというような批判をしています。勝海舟に対しては、お前が言うのか?という感じもしますが、そこまで尊大な態度だったのでしょう。
しかし、その能力は幕末の洋学者の中でも傑出したものであったことは確かです。そんな、佐久間象山の言葉は、なんと言うことの無い言葉でもその裏に何かの考えがあるのではないかと深く考えさせられる物が多いです。
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