漢帝国のなかで、この兗州は東に位置する。
黄河を挟んで北には冀州、東には青州と徐州、南には豫州、
そして西には都の長安や遷都前の都だった洛陽のある司隷が隣接していた。
于禁文則が食客として世話になっている李家は、兗州のなかでも南に位置する済陰郡の乗氏県という場所の豪族であった。
食客を何千と抱えている。
漢帝国の帝は幼く、相国から太師となって政治を独占する董卓の傀儡と化していた。
地方には名士と呼ばれる若く志の高い者たちが、董卓(とうたく)の命令で太守や刺史として就任していたが、国は乱れている。
賊徒の数は益々増えるが、それを討伐する力を持っている者は少ない。
地方の豪族は自らの命を自らで守るべく募兵し、武装した。
軍閥の誕生である。
今、この兗州は東の青州を発端に爆発的に広がりを見せている黄巾賊の残党に攻め込まれていた。
残党と云っても百万を超える大軍である。
兗州を束ねる州刺史の劉岱が急ぎ兵を整えた。
とはいっても刺史には軍権はない。
軍権を持っている太守や軍閥の力を借りなければ兵は集まらない。
すぐに駆け付けたのは済北国の国相である鮑信である。兵は二万。
そして東郡の太守である曹操も兵を挙げた。
曹操は黒山賊を討ち滅ぼし、捕虜を兵として吸収しており三万を率いて州都を目指した。
他にも黄巾賊から領土を守ろうと集結してきた兵数は合計二十万。
その中には、乗氏県の豪族・李家の当主、李乾の姿もあった。
鮑信と李乾は若い頃から朋友の交わりを結んでいる。
ふたりは兗州の州都で出会うと固く手を握り友情を確かめ合った。
「これは鮑師匠。お久しぶりでございます。ご壮健でなによりです」
于禁文則がそう云って師匠である鮑信のもとに挨拶にきた。
于禁文則の隣にはその手を引くようにしてここまで連れてきた李乾の親族、李典(りてん)の姿があった。
李典は李乾の姪で、男の姿をして帯剣しているが、実は女であった。
理由があって男装しており、武芸も達者で、食客たちのなかで李典の正体を知っているものは少ない。
「ほう。文則か。懐かしいな。息災か」
「は、はい。一応、息災にございます」
歯切れの悪い返答をしながら于禁文則は頷く。相手の目を見て話ができないのは昔からの癖だ。
それを見て鮑信は苦笑したが、武芸の腕前はよく知っているので、何も云わなかった。
李典に連れられてまた戻っていく。
大方、李典に挨拶に行くよう促されたのであろう。
于禁文則は極度の人見知りで、自分から他人に声をかけるなど滅多にない。
他人と話をするのが苦手なために山に籠っていることが多い。
その姿を探し出すのも一苦労で、いつの間にかそれが李典の仕事にもなっていた。
李典、字は曼成。兗州山陽郡鉅野県で熹平四年の生まれである。歳は18歳であった。
ちなみに三国志の英雄、孫策や周瑜と同じ年に生まれている。
于禁文則よりも歳は3つほど下であった。
于禁文則が黒色の甲冑を好んで身に着けるのに対して、対称的に李典は白色の軽装姿である。
剣を振るい戦うことよりも晴耕雨読の生活を好んでいるのだが、周囲の環境はそれを許さなかった。
実の父母は黄巾の賊徒に殺されている。そこで母方の伯父である李乾のもとに世話になっている。
これでも李典は分家の李家の当主なのだ。
当主は男しか継げないため、やむなく男装をしていた。
本家の当主である李乾のもとにふたりが向かう。
そこには李乾の嫡男である李整の姿もあった。
父に負けず劣らずの猛者ぶりで有名だ。
「鮑国相の籠城の諫めも聞かずに劉刺史が出陣された」
李整がふたりにそう告げた。
兵は揃いきってはいない。特に東郡の曹操は未だ到着していなかった。
短気なところが劉岱の欠点と云われていた。
「鮑国相は?」
李典が尋ねると、李整が、
「曹太守が到着次第、共に後を追うことになっている」
「我らは?」
「鮑国相の旗下として扱われることとなった。曹太守を待つ」
「承知いたしました」
李典はそう答えると于禁文則を連れて兵列へと戻って行った。
いよいよ兗州兵は黄巾の残党百三十万とぶつかり合うことになる。
【2話完】