世説新語(せせつしんご)とは中国南北朝の宋時代の劉義慶(りゅうぎけい)が、後漢末から東晋までの間の著名な人物の逸話を集め編集した小説集です。
物語という側面が強く「小説」であって、「史実」ではないという見解が一般的です。しかし、登場人物の多くは実在の人物であり、彼らの逸話やイメージを「小説タッチで書いた史実」とも言えるかもしれません。よくある「史実として書かれた史実」は、読み手を意識せず、淡々と史実が書かれており、中々手が出しにくいものを感じさせます。
こういう本では、逆に史実以外を書くと史実の書ではなくなってしまいます。一方、世説新語のような「小説タッチで書いた史実」では物語として端的にまとめられており、かつ内容も読みやすいものとなっております。
ある程度、フィクションが含まれていますが、読みやすくまた楽しめるものに仕上がっています。世説新語もこうした部類の書になります。
この記事の目次
世説新語が書かれた背景?
世説新語の著者は、南北朝の宋の皇族である劉義慶(りゅうぎけい)でした。彼は文学・学問を愛し、多くの文人を自身の元に招集しました。そして、文人たちの社交界の場であるいわゆる「貴族のサロン」を形成しました。
世説新語は、文人達が後漢末期の人物評論に関する歴史上の人物の逸話をまとめたものですが、それはこの貴族のサロンによって可能となったのです。また、乱世の終わりということもあり、乱世における文学の発展及びその発展した文学が国の隔てを超えて交わることで多様な変化が起こりました。
劉義慶(りゅうぎけい)の貴族サロンの情報量は凄まじいものであったらしく、他の著作物である「宣験記」では当時では先駆的であった仏教信仰に関する話が集められており、「幽明録」は、超自然的な怪異に関する話を集めた書でした。世説新語もそうした流れの中で各地から集められた情報が統合され世に生まれたのです。
どのような物語が書かれていた?第一~四篇
世説新語は、後漢末~東晋までの人物の逸話をジャンルごとに分けております。ジャンル毎に章で分けられており、全三十六篇から構成されています。ジャンルは、「それがどのような行いを主軸とした話か」に基づいて分けられています。
孔門の四科・徳行、言語、政事、文学を元にしたのが第一~四篇です。
〈第一 徳行篇〉
儒教的価値観、又はそれを超える徳の高い人物の逸話です。
〈第二 言語篇〉
機智に富んだ会話や弁舌に秀でた人物の逸話です。
中国の文人らしい面白さがある半面、文面だけから内容を把握することが難しいのですが、
大抵注釈がついていて分かりやすくなっています。
〈第三 政事篇〉
優れた政事や法治能力を示した人物の逸話です。
〈第四 文学篇〉
論理学や議論等の学問に優れた人物の逸話です。
文学の話というよりも、文学界における人間模様を描くお話です。
どのような物語が書かれていた?第五~九篇
第五~六篇は人物の強い意思や優れた才気に関して記されています。
〈第五 方正篇〉
自己の行いの一貫性、「義」を貫いた人物の逸話です。
〈第六 雅量(がりょう)篇〉
才に恵まれた器量の大きい人物の逸話です。
器量とは、ここでは多くの人が困惑するような場面をあっさり潜り抜けるという能力を指します。
第七~九篇人物評価に関して記載されています。
〈第七 識鑒(しきかん)篇〉
人物の真価を見抜いた人物に関する逸話です。
曹操(そうそう)や劉備(りゅうび)が他人からどう見られていたか、等が記されています。
〈第八 賞誉(しょうよ)篇〉
優れた”人物評価”に関する逸話です。
識鑒(しきかん)篇〉と同じような内容ですが、賞誉(しょうよ)篇〉では、
「人物評価」や「褒め言葉」自体に焦点が当てられてます。
〈第九 品藻(ひんそう)篇〉
比較による”人物評価”に関する逸話です。
「そいつってあいつと比べてどうなの?」という一見争いの火種になりそうな言葉とそれに対する返答が記されています。
どのような物語が書かれていた?第十~十七篇
第十~十七篇は登場人物の才や人物像に関して書かれています。
〈第十 規箴(きしん)篇〉
諫言や忠告をした人物に関する逸話です。
他人を戒めたりするエピソードがありますが、「戒め」の中にユーモアが含まれています。
〈第十一 捷悟(しょうご)篇〉
頭の回転が速く察しが良い人物に関する逸話です。
楊修(ようしゅう)の活躍が見たい人はこの篇をお勧めします。
〈第十二 夙恵(しゅくけい)篇〉
聡明で機智に富んだ子供に関する逸話です。
才能云々よりもビッグになる”芽”が見えるような話があります。
〈第十三 豪爽(ごうそう)篇〉
豪快で爽やかな人物の逸話です。
知識人は、慎重で繊細なイメージですが、時には豪快な事をした人物もいました、という話です。
〈第十四 容止(ようし)篇〉
容貌や風采に関する逸話です。
単なる見た目の話ですが、外見も才や人物評価の基準にあり、
カメラが無かった当時の大人物の風格がどのようなものであったかが文章で記されています。
〈第十五 自新(じしん)篇〉
過ちを自ら正した人物の逸話です。
自分で過ちに気付いて自分を改めることは、
なかなかできることではありませんが、そうしたエピソードが集められています。
〈第十六 企羨(きせん)篇〉
他者を目標として努力した人物の逸話です。
他人を羨み、追いつこうとして努力し、そして達成した人々の話です。
〈第十七 傷逝(しょうせい)篇〉
掟を顧慮せず死者を偲んだ人物の逸話です。
儒教的には礼が重んじられますが、身内の死に直面した時には礼に反する行いをした人々の話です。
どのような物語が書かれていた?第十八~二十一篇
第十八~二十一篇は、隠者や女性、専門技術等、独特なテーマが記されています。
〈第十八 棲逸(せいいつ)篇〉
世俗を離れた隠者の逸話です。
〈第十九 賢媛(けんえん)篇〉
気を発揮した女性の逸話です。
これまでの話は男性がメインとなっていますが、ここでは女性が主役になります。
〈第二十 術解(じゅつかい)篇〉
医術や占い等専門的技術に優れた人物の逸話です。
〈第二十一 巧芸(こうげい)篇〉
美術や遊戯、芸術に長けた人物の逸話です。術
解(じゅつかい)篇〉に続き、技術的な話です。
どのような物語が書かれていた?第二十二~三十六篇
第二十二~三十六篇というと残りのほぼ全てですが、ここ以降では様々な分類の人物に関して書かれている印象です。
〈第二十二 寵礼(ちょうれい)篇〉
権力者から寵愛を受けたリア充達の逸話です。
〈第二十三 任誕(にんたん)篇〉
自由奔放な行動で知られる人物の逸話です。
主役は変人七人衆「竹林の七賢」です。
〈第二十四 簡傲(かんごう)篇〉
礼をかなぐり捨てたクレイジーな奴らの逸話です。
「礼儀なんてウェーイ!」
〈第二十五 排調(はいちょう)篇〉
他人を言い負かしやりこめた逸話です。
〈第二十六 軽詆(けいてい)篇〉
他人を痛烈にこき下ろした逸話です。
前篇の排調(はいちょう)篇よりもガチでディスってます。
〈第二十七 仮譎(かけつ)篇〉
他人をあざむいた人物の逸話です。
〈第二十八 黜免(ちゅつめん)篇〉
免職に関する逸話です。
同じようなジャンルの政事篇とは何となく異なった雰囲気です。
〈第二十九 倹嗇(けんしょく)篇〉
執着心が強いけちんぼ達の逸話です。
〈第三十 汰侈(たいし)篇〉
贅沢を極めた者の逸話です。
読むと、贅沢が何なのか分からなくなってきます(笑)。
〈第三十一 忿狷(ふんけん)篇〉
短気な人物の逸話です。
怒りの中にユーモアが垣間見えます。
〈第三十二 讒険(ざんけん)篇〉
他人を陥れた人物に関するどす黒い逸話です。
〈第三十三 尤悔(ゆうかい)篇〉
自身の行いを後悔した人物の逸話です。
〈第三十四 紕漏(ひろう)篇〉
うっかりしたミスをやらかした人々の逸話です。
尤悔(ゆうかい)篇のユーモア発展系でもあります。
〈第三十五 惑溺(わくでき)篇〉
女性に惑わされた人物の逸話です。
〈第三十六 仇隟(きゅうげき)篇〉
人間関係の軋轢に関する逸話です。
で、実際はどんな話があったの?
概要を書かれても内容は分からないと思いますので、一つ示します。なお、元々本文も読みやすい感じらしいですが、ここではさらに砕いた感じの筆者FM風日本語訳です。
世説新語 第四 文学より
許詢(きょじゅん)は度々王脩(おうしゅう)と比較されていました。許詢(きょじゅん)は比較がされるたびに不快に思っていました。
ある時、支法師と名士達が揃って仏典の講義を行い、許詢(きょじゅん)と王脩(おうしゅう)もそこに居合わせました。
許詢(きょじゅん)は、ここで優劣をはっきりしようと考えました。
許詢(きょじゅん)は、王脩(おうしゅう)に「論理を極める」という大義名分のもと、ディスってやろうと議論を仕掛けたのです。
結果、王脩(おうしゅう)はやり込められてしまいました。
王脩(おうしゅう)「ぐぬぬ」
許詢(きょじゅん)「お互いの論理を交換して論じれば、さらなる境地に辿り着けるはずだ。」
一同「なるほど、お互いの立場を変えれば、また違った発想が出てお互いのためになる訳ですね!」
再び許詢(きょじゅん)と王脩(おうしゅう)は論じ始めました。再び、許詢(きょじゅん)は王脩(おうしゅう)をやり込めました。
立場を変えて繰り返し論じ続けていましたが、王脩(おうしゅう)は完膚なきまでに敗北しました。
満足した許詢(きょじゅん)は得意満面に支法師に言いました。
許詢(きょじゅん)「どうです?私の議論は?」
支法師「議論は立派でした。しかし、あそこまで執拗に続ける理由は何でしょう?
立場を変えてもあなたが勝っているのでは結局どっちの論理が正しいのですか?」
許詢(きょじゅん)「・・・え、そっそれは・・・」
相手を打ち負かすことだけを考えていた許詢(きょじゅん)は、本来の目的から逸していたのでした。
立場を変えての議論は一見前向きな議論ですが、立場が変わっても同じ人が勝つのでは二つの論理の優劣は分かりません。
一同「で、どっちが正しいの?」
許詢(きょじゅん)「ぐぬぬ」
三国志ライターFMの独り言
世説新語、とか四字熟語見たいで一見小難しい話を想像してしまいそうなタイトルですが、結構読みやすく面白い話が詰まっています。また、話も非常に短いので一分以内に読み終えられるものもあります。
今回取り上げた「やり込められて返答に窮してしまうような話」は、第二十五 排調(はいちょう)篇、第二十六 軽詆(けいてい)篇でも取り上げられています。また、他のジャンルも数多くあるので、必ずお好みの話が見つかるでしょう。
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