※こちらの記事は「シミルボン」専用オリジナルコンテンツです。
季節は早や、10月、もうそろそろ、忘年会を意識する時期ですね。
会社や学生仲間と飲むお酒は、本来楽しいモノですが、
困りものなのは酒に関係する人間関係のトラブルです。
このような酒にまつわるトラブルは三国志の時代からあり、
それを防止しようと様々なマナーが取り決められていました。
さて、今回は現代でも役立つかも知れない、三国志の時代の
酒のマナーについてご紹介致しましょう。
酒量を一定させる 古代の飲酒の決まり
三国志の時代には、身分の上下は関係なく、お酒を飲む人は
酒量を一定にするという原則がありました。
世の中には、自分は飲まないで、人にばかり酒を飲ませて
面白がる人がいますが、そういう事を防ごうとしたようです。
しかし、実際には、身分の高い人はなんだかんだ、
言い訳をして、酒を飲まない事が多く、前漢の灌夫(かんぷ)という人物は、
竇甫(とうほ)という長楽宮の御衛隊長と酒を飲みますが、
竇甫は自身が、帝の妃の弟であるという地位をかさにきて、
自分は飲まず灌夫にばかり酒を勧めます。
短気で不正が嫌いな灌夫は、激怒し竇甫をブン殴っています。
非は竇甫にあるせいか、大事件にはなりませんでしたが、
ここにも、酒量は身分に関係なく、対等にせよという教えが
流れているのです。
ですが、このルールは、酒を勧める側が酒豪だったら、
むしろ事態を悪化させるような気がしますね。
※参考文献 中国社会風俗史 著 尚秉和 翻訳 秋田成明
酒は全員、一気で飲まないといけない
現在では、忘年会、新年会、歓迎会などの悪しき習慣とされる、
一気飲み、いわゆるイッキの習慣ですが、三国志の時代においては
それは極めて普通の事でした。
それは「満を引いて白を挙(あ)ぐ」と言い、
酒杯を一息に飲み干し、杯の底を周囲に見せていました。
当時の酒は清酒ではなく濁り酒が多いので、飲み干さないと
杯の底を見る事は出来なかったのです。
ただし、当時のお酒は、極めてアルコール度数が低く、
発泡酒以下であり、現在と同じではない事は注意しておきます。
この杯を一気に飲み干す事が出来ない場合には、罰として、
さらに一杯、酒を飲む決まりがありました。
また、古代のマナーブックである礼記には、
「長者あげて未だ尽くさざれば少者は敢えて飲まず」の一文があり
年長者が杯を飲み干さないと年少者は飲んではいけない事になっています。
もし、年長者が今のようにちびちび、飲む方式なら、
年少者はいつまでたっても飲めませんから、ここにも
酒は一気という、古代の考えが見て取れるのです。
※参考文献 礼記
下戸には恐怖、一気で回し飲みをする風習
当時は一気で飲み干すばかりでなく、それで回し飲みをする風習でした。
「五六人、まさに宴飲するを見るに、酒紫衣に到り、白面の少年に到り、
黒衣に到り、緑衣に到り、黒衣の胡人に至る」
という詩が唐の時代の「夢遊録」という書籍にあり、三国志の時代より
大分後ですが、回し飲みをする風習は変わっていないようです。
順番に一気飲みでは、下戸は自分の番で流れが止まるわけですから、
さぞかし居づらくなったでしょう。
【シミルボン】驚愕!三国志の時代の酒のマナー
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※本稿はシミルボンに掲載された記事をはじめての三国志用に再編集したものです