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もう佳境に入っていますが、2016年のNHK大河ドラマは、
戦国最強、日本一の兵(つわもの)と謳われた真田幸村(信繁)と
その家族の絆を主題にした「真田丸」で御座いました。
当初は当たり外れの落差が大きい三谷作品だけに、
「三谷監督に本格時代劇?おいおい大丈夫なのか?」というような
戦国ファンの心配も多かったのですが、どっこい、そこは三谷マジック!
草刈正雄のダンディでエゲツナイ真田昌幸や、真田丸ファンに
治部ロス現象まで起こした、山本耕史のハマり役の石田三成など、
キャラクターで盛り上げに盛り上げ、僅か2シーンの関ヶ原の描写など、
なんのその!今も戦国ファンのハートをガッツリ掴んで離しません。
そこで、はじめての三国志でも三国志と絡めて、人気大河ドラマ
真田丸にちゃっかり便乗しちゃおうと思います。
カッコイイ、真田の赤備え!
赤というと、今でも男の子のHEARTに火をつけるカラ―です。
戦隊ヒーローのリーダーは大抵、レッドですし、あの赤い彗星のシャアだって
赤いパーソナルカラーのモビルスーツに搭乗しています。
同じく、真田幸村が率いる、真田軍も全体が赤い鎧で統一されていました。
これを赤備(そな)えといい、幸村は赤い鎧に鹿の角をつけた赤い兜を被ります。
その真田幸村、最期の戦いの時の出で立ちは下記のような感じです。
緋威(ひおどし)の鎧、鹿角の前立に白熊(はぐま、中国産のヤクの尾の白毛)付の
兜を被り、河原毛の愛馬に六連銭の紋を打った金覆輪(きんぷくりん)の鞍を置いて
紅の厚総(あつぶさ:馬の装飾の房紐)を載せている。
もっとも、実際には、あんな兜の側面からバイキングのように鹿角が
延びているという事はなく、当世具足という実用的で地味な甲冑の前立に
鹿の角のデザインが飾られているというような感じです。
真田の赤備えは戦国最強武田軍からの流れ!
さて、真田家の鎧が赤なのは、元は甲州の武田氏に仕えていたからです。
武田信玄は、自軍の団結意識を強める為にすべての兵士の鎧を赤に統一します。
無敵と謳われた武田騎馬軍団は周辺国の兵士の恐怖の的であり、
赤備えが現れただけで、逃げ出してしまう兵士もいた程でした。
このような赤が持つ迫力や威圧感も信玄は計算に入れていたようです。
現在の軍隊でも、軍服は階級に関係なく同じで階級章で区別しますが、
これも集団に一体感を与え帰属意識を持たせる心理効果を狙っています。
そんな心理学なんか無い時代に、赤備えを生み出した信玄は
やはり非凡な戦国武将と言っていいでしょう。
三国時代の覇者、曹操も赤備えの鎧だった?!
赤=カッコイイというのは、幸村や信玄の専売特許ではありません。
実は日本の戦国時代を1300年遡る三国志の時代の英雄、曹操(そうそう)も、
赤い鎧に赤いマントを着て、颯爽と馬上で指揮をしたと言われています。
もっとも、曹操が赤い鎧を着ていたと記す文献はなく、
その根拠は、吉川英治の三国志の記述によるようです(残念)
ただ、曹操の墓とされる遺跡からは赤瑪瑙(めのう)の装飾品が
出ているようですから、本当に赤は好きだったかも知れません。
余談ですが、黄巾賊討伐で初陣を飾った頃の曹操の官位は騎都尉(きとい)で、
これは現代の小佐から大佐くらいの佐官に当たります。
おおっ!赤い彗星のシャアがルウム戦役で地球連邦の戦艦を五隻
一人で沈めて手柄を立て中尉から小佐に昇進したのに似ていますね。
もしや、これは偶然でしょうか?はい、偶然デス!!
【シミルボン】幸村だけじゃない曹操、孔明も使った赤備え!
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※本稿はシミルボンに掲載された記事をはじめての三国志用に再編集したものです