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松村邦洋さんと言えば、NHK大河ドラマに題材を取った
歴史人物モノマネをレパートリーに持っています。
まぁ大河ドラマは、あくまでも歴史人物に成り切ったお芝居なので
正確にはモノマネの真似という事になるのですが・・
さて、そのようなモノマネ、実は三国志の時代にもブームだったのです。
実は士大夫の間で大流行だったモノマネ
繰り返しになりますが、三国志の時代にも、モノマネは大流行していました。
あんな難しい顔をしていた人達が何のモノマネするの?と思うかも
知れませんが、意外や意外、宴会で悪乗りしたりしています。
漢書によると、後漢の時代の檀長卿(だんちょうけい)という人物は
九卿の小府(しょうふ)という最上級の貴族の位にありましたがモノマネ大好き
ある権力者が開いた宴会でお得意の猿と犬が戦うモノマネを披露して
一座の大爆笑を取ります。
原文:長信少府檀長卿起舞,為沐猴與狗鬥,坐皆大笑
しかし、どこにでも居る笑いが分らない蓋寛饒(がいかんよ)という諫言の士が
それを見ていて、憤慨し皇帝に告げ口したので、檀長卿は長い間、
牢獄に入れられたそうです。
良かれと思ってやったモノマネで投獄されるとは、割に合わないですね。
参考文献:漢書
猿や胡人、老人のモノマネをした傅玄
さて、少し時代が下り、三国の一つ、魏の官僚で魏書を現した
傅玄(ふげん:217~278年)もモノマネ好きでした。
彼の場合、檀長卿とは違い、普段は物静かで諫言もするような堅い人なのに、
一方では演劇や面白い芝居などが大好きで、また自分もそれに影響されて、
モノマネをしてしまうという愉快な趣味人でした。
宴会がたけなわになると、それまで大人しく飲んでいた傅玄が豹変、
赤い頭巾をかぶり、赤い布の靴下を履いて、唇を真っ赤に塗り、
猿そのものの姿になり、眉を吊り上げたり、顔をしかめたり、
手を上下で叩いてみたり、、猿の動きをそのまま真似てみせたのです。
40代以上の世代には、懐かしい加トちゃんの、
ちょっとだけよ~ あんたも好きネェが始まりそうな勢いです。
傅玄は、そればかりではなく、胡児(こじ)という外国人の真似や、
お年寄りのしぐさなども真似るなどレパートリーも多く、
かなりの芸達者でした。
あのように激しい戦乱の時代に、一方では傅玄のような人がいて、
宴会芸で猿のモノマネをしていたなんて、意外な感じがしますね。
【シミルボン】これは意外!モノマネが大好きだった三国志の人々
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