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三国志の時代については、華やかな合戦シーンや一騎打ちを除いては、
あまりイメージできるシーンが少ないと思います。
ただ、合戦シーンだけ分かれば、それでいいと娯楽しか求めないのも、
それはそれで楽しみ方ですが、当時の日常を知るのも知的好奇心を満足させる
という点においては本の効用と言えるでしょう。
そこで、皆さんも生涯に一度位は関係するかも知れない裁判についての、
三国志時代の常識について、紹介しましょう。
三国志の昔、民事訴訟には矢を百本納めた
訴訟には費用というものが掛ります、これは今も昔も変わりません。
三国志の時代の訴訟は、民事に相当する訟(しょう)と
刑事に相当する獄(ごく)に二分されていました。
この中で、訟を起こす場合には、訴える側が矢を百本納めるという決まりでした。
訴訟に勝利すれば矢は帰ってきますが負けると没収されます。
矢は、軍事に欠かせない武器である事から訴訟によって得た矢は
軍事に回されるという事になったのでしょう。
矢は理非曲直のシンボルとして、中国ではたとえ話に出てきますが、
そこには訴訟の費用として矢が徴収されたという事情もあるようです。
より重い刑事の獄では、訴えた側が黄金を納めた
一方で、刑事事件に相当する獄では、訴えた側が釣金を納める決まりです。
釣金とは具体的には黄金であり、それを三十斤納めます。
当時の単位だと、一斤は222グラムなので、三十斤では6・6キロです。
現在の価格だと3140万円という巨額です。
こんな巨額である事を考えると、獄を起こせるのは大金持ち以外には
無理であるという結論になると思います。
ただ、獄は刑事罰なので、最悪訴えられた側が死刑になる可能性もあります。
ですので、起こすならよくよく覚悟して間違いがない事を確認するように
という意味があるのかも知れません。
意味あるの?当人は出席しない裁判
また、当時は官職などを持つ人、命夫(めいふ)や、
その妻、命婦(めいふ)は裁判に出席せずに代理を立てる事が認められていました。
彼等のような特権階級は、家来や子弟を代理で座らせています。
一つには、そのような裁判に出る事自体が士大夫(知識人階級)に取り
不名誉であるという事や、当時の取り調べは原告も被告も、
床の上に、ひざまづいて取り調べを受ける屈辱的な姿勢である
という点もあるのかも知れません。
これだと、原告も被告も命夫だった場合には、双方とも、
代理人を立てて裁判が続いていく事もあったでしょう。
考えてみると変な風景ですね。
決着がつかない場合には、神頼みで解決する
今のように科学捜査が進んでいない三国志の時代ですから、
被告にも原告にも、それぞれ言い分があり、裁判では決着がつかない事も
何度も発生していました。
そのような場合には、一度、裁判を結審して、原告、被告双方と
この裁判が起きた土地の人間のお金で生贄と酒を買って誓いの札と共に
地面に生贄を埋めて、土をかけ上から酒を注いで、
「嘘をついている方に神罰が下りますように」という誓いを立てさせました。
一見、なんでもないようですが、迷信深い当時の事なので、
神罰が下るのを恐れて、後で嘘をついている側が自首してきたり、
巻き添えを恐れた村の人間が真犯人を裁判所に密告するなど、
私達が考えている以上に大きな効果を発揮したようです。
貧しい民の救済措置、肺石
しかし、黄金三十斤どころか、矢を百本納める余裕すらない貧民は、
裁判を通して、言いたい事も言えない事になります。
そのような場合の救済措置は無いのでしょうか?
それは、存在していたようで村には肺石(はいせき)という赤い石が置かれていて、
貧民が訴えたい事がある時にはここに立って訴えると、
担当の役人がそれを聞いて、そのエリアの長官に伝えました。
長官は、この貧民の訴えを王に伝える義務があり、
それを怠ると処罰されたと言われています。
石が赤いのは赤心(せきしん:真心)を象徴するものであったからです。
もちろん、肺石の上で訴えた事が虚偽であれば、訴えた者が、
ただでは済まなかった事は言うまでもありません。
参考文献:中国社会風俗史
著者: 尚秉和 出版社: 平凡社
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