【魏の陣営・趙戩と傅幹の討論】劉備は益州を攻略できるの?

2017年7月26日


 

 

劉備は益州の劉璋(りゅうしょう)の陣営からの要請によって益州攻撃を開始。

彼は劉璋と共同で張魯討伐を行うことが表向きの建前であったため、

3万ほどの軍勢を引き連れて益州へ侵入。

劉璋からおもてなしされた後、益州各地の劉璋の領土へ攻撃を開始します。

魏ではこの時益州攻略を開始した劉備が、

果たして益州攻略を行うことができるのかどうかについて議論されておりました。

今回は魏の側から見た劉備の益州攻略の是非についてご紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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劉備が益州攻略に乗り出す

 

劉備は張魯(ちょうろ)討伐の名のもとに自らの軍勢を引き連れて、

益州の劉璋の領土に入ります。

劉備は劉璋の領土に入りますが張魯討伐を行おうとせず、

劉璋の領土内で民衆達の人気取りを行います。

彼はその後、孫権からの救援依頼を名目に益州から去ろうとします。

劉備は益州から去る際に劉璋から兵力を借りようとしますが、

半分程度しか与えてもらえませんでした。

彼は劉璋が自らに協力的ではない態度に激怒して、

劉璋の領土内になる城へ攻撃を仕掛けていきます。

こうして劉備の益州攻略戦が始めることになります。

 

趙戩の意見:「劉備は益州攻略に成功しないであろう」

 

魏では劉備が益州攻略に乗り出したことを聞くと群臣達は色々な討論を開始します。

主な討論の内容は劉備が益州攻略を成功させることができるのか否かでした。

趙戩(ちょうせん)という人物は傅幹(ふかん)という人物と劉備が起こした

益州攻略戦の是非について討論を行います。

趙戩は傅幹へ「劉備が益州を攻略することは無理だと思う。

その理由だが、彼は今まで戦に勝ったことがほとんどなく、逃走することに長けている。

また益州の地形は兵を進めるのに不利であり劉璋がしっかりと拠点によって戦えば、

劉璋軍がまず負けることはないであろう」と述べます。

しかし傅幹は彼の意見とは真逆の意見を持っておりました。

 

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傅幹の意見

 

趙戩の意見に対して傅幹は別の認識を持っておりました。

彼は趙戩に対して「劉備は今まで敗北を重ねてきたが、

核となっている軍勢は散らずに残っている。

さらに彼には関羽・張飛と言う一騎当千の強者がおり、将軍として兵を率いているそうだ。

彼らに加えて最近劉備の配下となった諸葛孔明という人物は、

政治に対して優れた能力を持っており、状況の変化に応じて対応できるそうだ。

他にも荊州の優れた人物が彼の配下として加わっており、

劉備が彼らをしっかりと使いこなせれば、

ほぼ100%益州を攻略することができるのではないのでしょうか。」と

劉備が益州を攻略することができると判断します。

そして傅幹の予想通り、劉備は益州攻略を短期間の内に成功させることになります。

 

三国志ライター黒田レンの独り言

 

傅幹の討論には興味深いものがあります。

それは諸葛孔明の存在が曹操軍の間で知れ渡っているからです。

孔明は劉孫同盟における外交がはじめての活躍と言えるものではないのでしょうか。

赤壁の戦いの時にはほとんど表立って活躍しておらず、

劉備が南荊州に領土を確保した際、

彼は南荊州の領土経営において手腕を発揮した程度で、

他国においてその名を轟かすほどの活躍をしておりません。

この程度の活躍していない他国の軍師が、

曹操の配下の中堅どころの文官にまで知られているのはすごいことだと思いませんか。

当時の中華において無名に近い人物が、

どうして傅幹のような中堅どころの文官が知ることになったのかはわかりません。

しかし一つ言えるのは

曹操の配下達にとって諸葛孔明は驚異的な人物であるという認識を持たれていたのは

間違えないと思います。

 

参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志蜀書 今鷹真・井波律子著など

 

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黒田廉(くろだれん)

黒田廉(くろだれん)

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