武勇と侠気、人望を兼ね備えた人で彼が挙兵すると周囲からの人望が功を奏して、
多くの兵が集まってきます。
後に彼は黄巾賊の大軍を率いていた大将を降伏させ大軍を握ると、
曹操に帰順して配下として加わることになる武将です。
法律を厳格に守り重用されている人物の親族でも、
法律に違反すればしっかりとバツを与えることのできる人物です。
また武将同士の調整役として優れた能力を発揮した武将です。
一見すると全然違うタイプの二人ですが、
彼ら二人がいなければ官渡の戦いの時、
曹操陣営は大変なことになっていたかもしれません。
関連記事:表向き武力を用いない王朝交代劇「禅譲」、曹操と荀彧の思惑は?
官渡の戦い勃発
河北を統一して広大な領土と兵士を領有することになった袁紹。
彼は南下して曹操を滅ぼして天下統一を達成し自らの王朝を開く野望を達成するため、
大軍を率いて曹操の領土へ攻め入ってきます。
袁紹は大軍を率いて曹操の領土へ攻め入ってくる前に事前工作を開始。
彼は曹操が領有してる豫州(よしゅう)各県へ味方に付くように使者を送ります。
袁紹のこの作戦は大いに功を奏して、
曹操の領地である豫州の各県は袁紹に寝返る約束をしていたそうです。
しかし一つの県だけは袁紹の誘いを突っぱねていました。
その県は李通が治めていた陽安(ようあん)です。
税を取り立てて曹操へ送る
李通は袁紹の工作によって豫州各地の県が寝返る約束をしていると聞くと
自らが統治している陽安の県の民衆へ税を徴収するように命令。
こうして陽安の民衆から続々と税が納税されていくことになります。
こうした李通のやり方を注意した人物がおりました。
税の取立てを緩和すべし
趙儼は李通のもとへ行き「現在袁紹と殿が官渡で決戦を行っており、
豫州各地では袁紹の味方に付くことを表明したそうです。
しかし陽安の民衆達は李通殿に味方して曹操殿へ反逆を企てていないにも関わらず、
どうしてあなたは税を厳しく取り立てるのでしょうか。」と質問します。
すると李通は「袁紹と対峙している殿の現状は非常に厳しい状態だ。
今税を取り立てて殿に送らねば、殿と袁紹の戦いに注目している者達から
「陽安は日和見しているのだ」と噂され、
殿と袁紹の戦いの決着が着くのを待っているのだと思われてしまうではないか」と反論。
この言葉を聞いて趙儼は「確かに李通殿の仰る通りです。
しかし厳しく税を取り立てるのはよくありません。少し緩和すべきです。
またあなたの心配は私の方で何とかしておきましょう」と答えます。
李通は趙儼の言葉を聞いて税の取立てを緩和する方針を行います。
そして趙儼は李通の心配事を減らすために荀彧(じゅんいく)へ手紙を送ります。
関連記事:軍師・荀攸と曹操の懐刀・荀彧が曹操の公就任に反対していればどうなったの!?
関連記事:荀爽(じゅんそう)とはどんな人?たった95日で三公にスピード出世した荀彧の叔父
税として取り立てたものを全て民衆に返すべきでは
趙儼は荀彧へ「陽安では税を徴収して殿に送ろうと考えております。
しかし陽安から官渡までの道路は破壊され、近隣の城は全て袁紹に味方しているため、
輸送しても奪われてしまう可能性があります。
また陽安の民衆達は殿に忠節を尽くしており裏切ることを一切考えておりません。
そこで私からの提案なのですが、税として取り立てた物を民衆へ返還すれば、
民衆達はさらなる忠誠を殿に尽くし、陽安は安定すると考えます。」と提案。
荀彧はこの手紙を受け取るとすぐに返信し「あなたのお考えを殿へお伝えしました。
あなたはすぐに税を民衆へ返還してください」と述べます。
この結果陽安は安定してこの地から袁紹に味方する人は一切出ることはなかったそうです。
三国志ライター黒田レンの独り言
陽安が安定することができなければ豫州全体が袁紹に寝返っていた可能性があります。
もし豫州全てが袁紹に寝返ることになれば、曹操は後方からも攻撃を受けることになり、
官渡の戦いは袁紹の勝利で終わっていたかもしれません。
仮に袁紹軍が官渡で敗北しても、
再度南下してきた袁紹軍を前に後方の豫州にも兵を配置しなくてはならないため、
曹操軍は全力で戦うことができずにいたでしょう。
これらを考えると李通と趙儼が果たした役割は官渡で死力を尽くして戦っていた
武将達に匹敵するほどの勲功とみなすことができるのではないのでしょうか。
参考文献 ちくま文芸文庫 正史三国志魏書4 今鷹真・井波律子著など
関連記事:もし曹丕が夷陵の戦いの後に蜀に攻め込んでいたら蜀はどうなった?
関連記事:もし龐統が落鳳坡で亡くならなければ蜀はどうなった?
—古代中国の暮らしぶりがよくわかる—