今回は島津斉彬の遺言から相続トラブルを回避する方法について学びます。
相続トラブルは現代だけでなく、日本史において繰り返されてきました。
現代では相続と言えば土地や現金などの財産のことを指しますが、
皆さんが日本史の授業で学習した内容には財産だけでなく後継者としての争いも含まれます。
この記事では、島津斉彬が相続トラブルを回避する方法を考えるきっかけになった
「お由羅騒動」について取り上げます。
次に実際に島津斉彬が書いた遺言書について紹介し、斉彬の狙いについて考えます。
島津斉彬と同じころに、幕政改革に加わっていた水戸藩の徳川斉昭がいます。
徳川斉昭の水戸藩は斉彬の薩摩藩と異なり、お家騒動で多くの人材を失います。
水戸藩の騒動について取り上げ、最後に薩摩藩と水戸藩について比較します。
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大勢の犠牲者を出したお由羅騒動
10代目の薩摩藩主島津斉興には正室の弥姫と側室のお由羅がいました。
正室弥姫の子どもは斉彬で、側室お由羅の子どもは久光がそれぞれいました。
正室と側室がわが子を藩主にと対立するようになりました。
10代斉興の後継者争いについて、
斉彬派には老中の阿部正弘や宇和島藩主の伊達宗城など有力藩主がいました。
一方、久光派には薩摩藩で財政再建をしていた調所広郷がいました。
調所広郷が財政再建のためにしていた琉球での密貿易が発覚し、その責任を取って服毒自殺をします。
調所広郷の自殺だけでなく、斉彬の子が13人いましたが、
そのうち11人が幼くして死亡していて呪詛人形があったことも発覚しました。
お由羅を暗殺しようとする計画も出ましたが、露見し関わった藩士が処分されました。
この一連の騒動をお家騒動と言います。
お由羅騒動の結果、斉彬派の支持勢力が拡大し、
13代目将軍徳川家慶から島津斉興は隠居するように言い渡され、
11代目を斉彬に譲ることになりました。
島津斉彬の遺言書を見てみよう
島津斉彬が藩主になると、藩政改革と殖産興業に取り組んだという印象を受けると思いますが、
お由羅騒動を二度と起こさないための対策を講じます。
ここでは、島津斉彬の遺言書から後継者争いを防ぐための方法について取り上げます。
斉彬が藩主になった頃、子どもの哲丸が幼少でした。
争いを起こさないために次のようなことを遺言書に残します。
島津久光の子・忠義を後継者とし、久光を国父として後見人とすることを決めます。
また、斉彬の娘を忠義の正室に、哲丸を養子にすることを決め、
後に対立が起こらないようにしました。
私利私欲より藩の団結を望んだ斉彬
島津斉彬は藩主になったとき、後継者争いで久光派だった藩士の処分を行いませんでした。
斉彬派で藩主が斉興のときに処分された藩士の処分を解かなかったことも有名です。
なぜ処分を解かなかったのか気になると思います。
1つ目は、久光派の藩士を処分するとお由羅騒動が再び起こり、
薩摩藩が取り潰しになる恐れがあるため、騒動を起こさないようにしたと考えられます。
2つ目は、欧米列強が日本に接近していたことから薩摩藩が団結して
欧米に立ち向かおうとしていたと考えられます。
壮絶お家騒動で崩壊した水戸藩
徳川斉昭は9代目水戸藩主になると、藩政改革を行います。
藩校弘道館を設立して、下士層から広く人材を登用しました。
後に幕末の尊王攘夷運動で有名になる藤田東湖・会沢正志斎・武田耕雲斎を登用し、
藩政改革を行います。
藩政改革を行った頃から、保守派の諸生党と改革派の天狗党の対立が起こります。
この対立は藩内で起こりましたが、藩主の斉昭は抑えられなくなりました。
脱藩した水戸藩士が大老井伊直弼を暗殺した桜田門外の変を起こします。
水戸藩士と長州藩が尊王攘夷運動で連携して筑波山で挙兵し、江戸幕府と戦いました。
この事件を天狗党の乱と言います。
諸生党と天狗党の対立が藩校弘道館において抗争となります。
結果、諸生党は新政府軍と天狗党に追撃され、壊滅しました。
この事件を弘道館戦争といいます。
薩摩藩と水戸藩を通して、円満な相続をするために
今回は薩摩藩と水戸藩を比較する形で相続トラブルと回避する方法について取り上げました。
薩摩藩の場合、島津斉彬自身がお由羅騒動で人材を失ったのを見て、
今後このような騒動が起こらないように慎重に検討したと考えられます。
慎重に考えた結果が斉彬の遺書に表れていると言えます。
一方で、水戸藩の徳川斉昭の場合、
藩政改革で広く人材を登用したことや水戸学の影響で藩主の抑えられなくなった可能性があります。
安政の大獄で蟄居謹慎処分を受けたことも影響として出ているかもしれません。
薩摩藩と水戸藩は幕末の藩政改革で台頭しましたが、
円満に相続ができたかどうかは危機管理が十分だったかどうか気になるところです。
危機管理の視点で幕末の藩の情勢を見ることができればと思います。
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