2017年の大河ドラマ『おんな城主 直虎』と2018年の大河ドラマ『西郷どん』において、
主役と脇役の違いを別にして井伊家の人物が登場しています。
2017年の『おんな城主 直虎』については、
主人公・井伊直虎は女性で、井伊家断絶の危機を救った人物のストーリーでした。
2018年の『西郷どん』では、井伊直虎から200年を越えて幕末の大老井伊直弼が登場します。
井伊直虎の跡を継いだ井伊直政は初代彦根藩主で、井伊直弼は16代目の彦根藩主です。
最初に、井伊直弼と井伊直虎の関係性や共通する点について取り上げます。
次に、井伊直弼の安政の大獄の動機について取り上げます。
西郷どん:全記事一覧はこちら
関連記事:おんな城主 直虎の予備知識を得よう!女城主・井伊直虎は今川家に呪われているらしい
関連記事:井伊直弼とはどんな人?倒れゆく幕府の犠牲になった真面目で誠実な独裁者
井伊直弼と井伊直虎は子孫と先祖?
井伊直虎はおんな城主として話題になりましたが、生涯独身で子供がいなかったため、
養子として井伊直親の子直政が跡を継ぎます。
『井伊直弼は井伊直虎の子孫なのか?大河をまたいで続く井伊家』によれば、
井伊家については直政から直弼までの代で、血縁関係のある実子以外が跡継ぎとなった事例があります。
井伊直弼と直虎の間に直接の血縁関係はありませんが、
何らかの形で血縁関係にある人を養子にしていることから
子孫と先祖と結論付けることはできると考えられます。
井伊直弼と井伊直虎のエピソード
井伊直弼は彦根藩主井伊直中の14男として生まれました。
14男ということで、跡継ぎになる可能性はほとんどなかったのですが、
直中の跡を継いだ兄たちに子供がいなかったため、彦根藩主になりました。
直弼は彦根藩主になったとき、先祖である井伊直虎や直虎のもと許婚の直親の墓に参ったようです。
墓参りの際、一対の灯篭を寄進したという逸話が残っています。
先祖への感謝を忘れない直弼の謙虚な気持ちを感じることができます。
激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末」
井伊直虎と井伊直弼の共通点
井伊直虎は女性でした。
本来、女性が当主になることはほとんどありません。
井伊直弼については藩主の14男で、彦根城の部屋住みとして何もすることなく
生涯を終える可能性が高いことから跡を継ぎになる可能性はありませんでした。
この2人の共通点として、意外な形で跡を継ぐことになったことが挙げられます。
意外な形で跡を継ぐことになったことで、断絶の危機を救うことができました。
安政の大獄は井伊直弼のエリート意識が根底にある?
江戸幕府260年において、井伊家が大老の半分を輩出するなど江戸幕府の将軍から信頼されてきました。
江戸幕府において政治を仕切っていたのは親藩(徳川家の一門)と
譜代大名(三河以来、徳川家康に仕えていた大名)でした。
外様大名(関ヶ原の戦い前後に徳川家康に従った大名)については
江戸幕府の政治に口を出すことができませんでした。
しかし、井伊直弼が大老になった頃、外様大名や下級武士、
朝廷が江戸幕府の政治に口を出すようになっていました。
原因として、ペリーが来航したとき、老中阿部正弘が困難を打開するために
外様大名や朝廷にも意見を求めたことが挙げられます。
政治に関わってこなかった外様大名が政治に加わるようになります。
政治に加わった大名の中には、前水戸藩主徳川斉昭・松平慶永(春嶽)、
外様大名では宇和島藩主の伊達宗城・薩摩藩主の島津斉彬がいます。
阿部正弘が様々な大名から意見を求めたことで、幕府の権威が落ちていました。
井伊直弼が大老に就任すると、
幕府の権威を取り戻すために安政の大獄という反対派の弾圧を始めました。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は井伊直虎と井伊直弼の関係、後半で井伊直弼の安政の大獄の動機について取り上げました。
安政の大獄の動機として、
井伊直弼は多く大老を出した家柄であるというエリート意識が強かったのかもしれません。
阿部正弘がペリー来航後の幕政改革で外様大名にも意見を求めたことが
受け入れられなかったことも考えられます。
ペリー来航という危機的な状況を乗り切るために広く意見を求めたことは良いことであるという
印象を受けるかもしれませんが、かえって幕府の権威を失うことになりました。
安政の大獄で井伊直弼が独裁者のような印象を受ける原因として、
幕府の権威を取り戻すために強引な弾圧をしたのかもしれません。
西郷どん:全記事一覧はこちら
関連記事:【井伊直虎の細腕城主一代記】婚期を逃した戦国女の意地とプライド