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疑問5 何であんな変なメイクしているの?
公家と言えば、顔を白く塗った奇異な化粧が有名ですが、あれにも意味があり、当時は電気がなく宮廷は昼でも薄暗かったので自分を目立たせる為に顔を白くしたのだそうです。白粉を塗るのに眉は邪魔なので剃ってしまい、額に書いたので理由が分からないと異様な風体に見えてしまいますが、実際は顔を強調する事で、自分を売り込もうという意識から誕生した公家文化でした。
疑問6 現在も公家っているの?
明治維新により、身分制社会は一応崩壊しましたが、かつての堂上家の137家は諸侯の270家と共に華族に分類されました。そして階級や家柄、功績により、公爵、侯爵、伯爵、子爵、男爵の地位を与えられ明治政府と天皇を守る藩屏(防波堤)の役割を期待されるようになります。
実際、西園寺公望や近衛文麿など元公家出身で首相になる人も出ましたが一方で事件を起こして社会を騒がすような困った元公家も出ました。しかし、華族と言っても欧州の貴族と違い名前ばかりで交際費が多く、保障された華族財産は、簡単には売れないなど制約も多かったので、中小の華族や時には大華族も華族の地位を返上して庶民に戻ったケースもあります。
大東亜戦争の敗戦により、新しい憲法が施行されると特権身分は廃止され華族は消滅して旧公家階級は庶民としての歴史を歩み始めますが、没落した公家もいれば、今も名前をとどめている富裕な公家の末裔もいるなど様々であるようです。
幕末ライターkawausoの独り言
以上、幕末の歴史を陰から動かした公家について簡単に説明しました。現在では、公家という身分はありませんが、旧公家の家は苗字が独特で万里小路や甘露寺、烏丸など変わったものが多いので、時々、テレビなどで見て気づく事もあるかと思います。
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