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山内容堂は鯨の如く酒を飲んでいたって知ってた!?

2018年5月19日


 

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山内容堂

 

これから夏に向けてバーベキューや旅行などを計画している方も多いのではないのでしょうか。

バーベキューや旅行に行けば必ずと言っていいほどお酒を飲むと思います。

幕末にも多くの酒好きな人がいました。

 

四賢侯(しけんこう)と呼ばれた土佐藩の藩主・山内容堂(やまのうちようどう)も超絶に酒が好きな人でした。

そこで今回は現代人も大好きなお酒と山内容堂にまつわるお話を紹介したいと思います。

 

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監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。戦略設計から実行までの知見を得るためにBtoBプラットフォーム会社、SEOコンサルティング会社にてWEBディレクターとして従事。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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鯨海酔侯と呼ばれた日本酒大好き容堂

 

山内容堂は土佐藩の藩主として君臨していました。

彼は四賢侯と呼ばれるほど頭のいい人でしたが、

青年期は学問に励まずにあることにはまっていました。

それは酒です。

 

山内容堂は青年期から学問をしないで酒にはまって飲みまくっていたそうです。

彼は特に日本酒が大好きでガブガブ飲んでいたそうです。

容堂は日本酒を豪華に飲み、土佐藩の藩主になった後もその飲みっぷりは変わりませんでした。

そのため彼は自分で「鯨海酔侯(げいかいすいこう)」とあだ名をつけたそうです。

 

そして現代彼のあだ名から取った「鯨酔」と呼ばれるお酒が販売されているそうです。

後世に日本酒の名前として残るくらい日本酒大好きな彼は

酒にまつわる逸話をいくつか残しているのでご紹介しましょう。

 

鯨海酔侯容堂の酒豪列伝その1:下戸の勝海舟に無理やり飲ませる

勝海舟

 

土佐藩に脱藩者・坂本竜馬(さかもとりょうま)がいました。

後に薩長同盟(さっちょうどうめい)の仲介役や海援隊(かいえんたい)を作り出した人物として歴史に名を残します。

勝海舟(かつかいしゅう)は竜馬を気に入って山内容堂と会った際、脱藩の罪を許してもらおう考え、

容堂に直訴してみると、容堂は意外にも海舟のお願いをすんなりと許してしまいます。

 

しかし海舟は容堂が酔っていた為、信用することができないと考え、

念書を書いて欲しいとお願いします。

 

すると容堂は海舟へ盃に酒をいれて渡します。

海舟はお酒が飲めない人でしたが、無理やり飲みきり念書を書いてくれとお願いします。

容堂は海舟のお願いを頷きながら聞いて念書を書こうとしませんでした。

そのため海舟は執拗に容堂へ念書を書いてくれとお願いします。

 

すると容堂は大きな盃に酒を並々といれて海舟へ渡します。

すると海舟は大きな盃を持って酒を無理やり飲み干すのでした。

容堂は海舟の飲みっぷりを見た後、海舟へ念書を書いて渡すのでした。

勝海舟からしたら飲めないのに無理やり飲ませてくる容堂は

現在ならパワハラ案件で訴えてやりたかったと思います。

 

しかしぐっと堪えた勝海舟はさすがだと思いました。

それに比べて山内容堂は無理やり酒を飲ませるなんて

最悪な奴だと思うのはレンだけでしょうか。

 

激動の幕末維新を分かりやすく解説「はじめての幕末はじめての幕末

 

鯨海酔侯容堂の酒豪列伝その2:大事な会議にも酒を飲んで出席

 

徳川家は大政奉還(たいせいほうかん)を行います。

薩摩藩ら幕府討伐派は大政奉還後も幕府討伐を諦めず、

何とか幕府を討伐しようと考えを巡らせていました。

そして慶応3年12月に小御所会議(こごしょかいぎ)が開かれます。

 

この会議は徳川幕府の将軍・慶喜(よしのぶ)に領地の返還と官位を朝廷へ返すように

要求することを決める会議でした。

山内容堂もこの会議に出席していましたが、

この会議が始まる前日に酒を飲みまくって、酒が抜けきらない状態で出席していました。

大事な会議に酔っ払って出席するなんてとんでもない人です。

 

さてこうして会議は始まりますが、倒幕派の岩倉具視(いわくらともみ)や薩摩藩の面々が

幕府討伐で意見をまとめようとしている所に、酔っ払い容堂が反対意見を挙げます。

 

容堂は倒幕派の人々へ

「どうして徳川幕府だけ領地を返還しないといけないんだ。おかしいだろ!!」と

キレ気味に言い寄ります。

容堂の意見はとても酔っ払いとは思えないほど正論で、

討伐に反対していた松平春嶽(まつだいらしゅんがく)も容堂の意見に賛成します。

こうして反対派が意見を盛り返しそうになります。

 

しかし容堂がうっかりと

「幼い帝を公家たちが利用して権力を拡大しようとしとるから幕府討伐を言い募るんだろ」と

述べてしまいます。

 

この意見を聞いた岩倉具視は

「バカ野郎。なんてこと言うんだ!!帝は明主であり、今日のことは全部帝が決めたことだ!!」と

激しく容堂を攻めます。

 

容堂は岩倉具視に謝罪して事なきを得ますが、

幕府討伐派が議論の勢いを盛り返して結局幕府討伐を行うことになるのです。

大事な会議があるにも関わらず酒が抜けきらない程飲みなくっていた容堂。

もうここまでくるとあっぱれと褒めたくなるのは、レンだけでしょうか。

 

鯨海酔侯容堂の酒豪列伝その3:日本酒が好きすぎて脳溢血で亡くなる

 

徳川幕府を打倒して新政権を成立させた明治政府。

容堂は明治時代に突入しても徳川の時代と変わることなく、毎日酒を飲んで過ごしていました。

毎日のように酒を飲んでいた容堂は、脳溢血(のういっけつ)で倒れてしまい、そのまま息を引き取ってしまいます。

享年(きょうねん)46歳でした。

   

幕末ライター黒田レンの独り言

 

山内容堂とんでもなく酒好きだった事をご紹介しました。

彼ほど幕末酒を飲みまくっていた殿様は居ないのではないのでしょうか。

ただの酒好きなうつけな殿様ではなく決断力や知識などをもった名藩主だったのが不思議でなりません。

容堂を三国志で例えるなら酒好きで有名な孫権みたいな人だったのかもしれませんね。

 

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