江戸時代における人間とペットとの関係について取り上げます。庶民がペットを飼うようになったのは江戸時代と言われています。現在のペットの人気ツートップは犬と猫です。江戸時代の人気のツートップも犬と猫でした。この記事の最初に篤姫のペットについて紹介します。この記事の終わりに、浮世絵とペットとしての猫について取り上げます。
篤姫は犬派?猫派?
篤姫の実家は薩摩藩の分家で、小さい頃犬を飼っていました。篤姫は犬好きでしたが、江戸城大奥に御台所として入ると猫好きに変わります。夫の将軍徳川家定が犬嫌いということで、気を遣って猫を飼うことにしたと言われています。最初、飼った猫に「みち姫」と名付けてかわいがっていましたが、しばらくして死にました。次に飼った猫を「さと姫」と名付けてかわいがりました。
さと姫の暮らしについて知ろう!
さと姫は三毛猫でかわいがりました。16年ぐらい篤姫とともに生活しました。篤姫が食事のとき、いっしょにさと姫の食事も出されました。いつもは魚ですが、精進の日にはどじょうと鰹節を出されました。さと姫の食費は1年に25両ほどかかったようです。さと姫はどこで寝ていたのでしょうか。畳の上にじかに寝ることはありません。飼い主の篤姫の裾の上や猫用の布団で寝ていました。
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「大奥で猫を飼う」やってみた!
大奥は男子禁制で、女性しか入ることができません。唯一、男性で大奥に入れたのは将軍だけでした。ペットの猫も同様で、オス禁制で、メスしか入ることができませんでした。ペットのメス猫の旦那については唯一入れるオス猫ではなく、篤姫のことを指します。
大奥に仕えている女中の中で正室や側室になると外出することができません。ペットの猫も同様、無断で外に出ることは禁止されています。ただし、猫は大奥の掟を守るわけではなく、発情期になると無断で庭から外に出ました。無断で外に出たペットの猫さと姫をどのようにして捕まえたのでしょうか。表の者が「おさとさーん!」と名前を呼んで探したそうです。さと姫のファッションは紅絹の平紐へ銀の鈴を付けていたので探しやすかったのかもしれません。
江戸時代のペットの役割について考えよう
江戸時代の浮世絵で、代表的な画家として葛飾北斎や菱川師宣といった人を挙げる人が多いと思います。彼らはさまざまな浮世絵をこれまでに描いてきました。この浮世絵師たちが描いたのは意外なことに猫でした。ニューヨークで開催される浮世絵の展示会では、展示されている90店の浮世絵のうちほとんどの作品に猫が描かれています。
ペットで猫が好きな人は気まぐれなところがよいのかもしれません。猫が懐にいたかと思えばフラっとどこかへ行ってしまいます。気が付くと傍にいます。このような気まぐれな仕草が人々に愛された理由であると言えます。浮世絵にもたくさん猫が描かれていることから江戸時代から愛されていると言えるのかもしれません。
幕末ライターオフィス樋口の独り言
今回は篤姫の猫好きを例に江戸時代のペットと人との関係について考えました。江戸時代から現在まで、ペットの人気ツートップが犬と猫であることが意外でした。また、浮世絵のファンでない読者の中には猫が多く描かれていることが意外で驚いた人がいるかもしれません。ネコと日本の絵画との関係に関心を持った人がいるかもしれません。ペットとしてのネコと人との関係については江戸時代以前にも関心があります。
ネコ以外では、犬と人との関係やネコと犬以外の動物で、歴史上の人物と動物との関係の歴史にも注目したいと思います。今回は日本史でペットの役割について考えましたが、世界史でペットの役割について考えてみたいと思います。
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