貧乏旗本から異例の抜擢を受け、幕末時代に名を残した勝海舟。江戸城無血開城で有名な偉人です。実は、勝海舟は幼少期に死に掛けたことがあります。犬にかまれ命を失いかけたのです。
生きていればこそ、人は何かを成せます。勝海舟は一生、犬が嫌いになりますが、傷を癒し生き延びたことで、幕末から明治時代に歴史に残る大仕事をすることになります。もし、このとき勝海舟が命をなくしていたら、その歴史はどうなっていたでしょうか。今回はあまりよく知られていない、勝海舟が幼少期に犬にかまれた事件についてスポットを当ててみました。
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幼少期に股間を噛まれた勝海舟
勝海舟が犬の襲撃を受けたのは9歳のときです。学問の稽古に通っている途上で野犬に襲われます。後に剣の腕前では、直心影流の免許皆伝になる勝海舟ですが、このときは無力な9歳児です。犬は通りかかった人が追い払います。そして、勝海舟は職人の八五郎の家に運び込まれました。これを聞いた江戸最強の喧嘩師・父親の勝小吉は家を飛び出し、八五郎の家に向かったのです。
勝海舟は、積み上げた布団によりかかっていました。父親の小吉が、息子が犬に噛まれた股間を確認します。と、そこは、凄まじいことになっていたのです。9歳の勝海舟の股間は皮膚が破れ睾丸が飛び出していました。江戸時代の衛生状態や医療レベルを考えれば生き死に関わる重症でした。
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睾丸を摘出する?生命の危機にひんした勝海舟
運よくその場には成田という外科医がいました。小吉は勝海舟の命が助かるかと訊くと、答えは「難しい」だったのです。そして、小吉は息子の勝を家に連れて帰り、地主が紹介した外科医を呼びつけ、手術をさせます。医者はガタガタ震えていました。江戸最強の喧嘩師の呼び声を持つ勝小吉の息子の手術です。失敗でもしようものなら、非常に不味いと思ったのでしょう。そのための緊張が医者を襲っていた可能性もあります。9歳の勝海舟は泣き叫びます。小吉は勝海舟の枕元に刀を立てかけます。「願をかけた」と本人は書き残していますが、脅しに近い感じもします。
そして、手術は終わりますが、医者は命の保証はできないと言います。乱暴者で傍若無人な勝小吉ですが、父親としての情愛には溢れていました。彼は勝海舟の回復を願い、その日から水垢離をはじめます。冷水を身体に浴び、神仏に息子・勝海舟の回復を願ったのです。
勝海舟は70日間寝込みました。その間、生死の境をさ迷う勝海舟を、ずっと抱きしめ添い寝したのが、父親の勝小吉だったと、小吉本人は書き残しています。この手術で勝海舟は命は助かりました。勝海舟は、睾丸を片方失ったという説もありますが、実際には睾丸を摘出したという記録は残っていません。勝海舟が片方の睾丸を摘出されたという記録は無く、ただ睾丸が飛び出していた、傷を縫ったという記録が残っているだけです。
結局勝海舟は子どもをもうけることが出来たのか?
勝海舟は睾丸に大怪我を負いました。気になるのはその後、子どもが作れたのかどうかです。勝海舟が睾丸を片方摘出したかどうかまでは、記録には残っていません。ただ、仮に片方だけ摘出したとしても、生殖には問題ないことが、現代の医学では分かっています。勝海舟は子供をもうけることができたか?
できました。それも貧乏人の子沢山の典型のように子どもを作りまくりました。しかも正妻だけでなく、妾との間にも子供を作っています。勝海舟は合計で四男五女の子どもをもうけたのです。他に隠し子もいた可能性もあります。
勝海舟は精力は絶倫で晩年まで女中に手をつけまくったといわれる女好きだったといいます。その点に関して言えば、9歳の勝海舟が負った睾丸の傷は、生殖能力にはなんら影響を与えなかったといえます。
そもそも勝海舟の「股間を噛まれた」ことを後世に伝えたのは誰?
勝海舟は、9歳のときに犬に股間を噛まれたことを書き残していません。このことを後世に伝えたのは父親の勝小吉です。勝小吉は、子ども達に自分のようになってはだめだということで自伝「夢酔独言」を書き残します。この中に、勝海舟の犬の股間を噛まれた事件が書かれています。
勝小吉も、話を面白おかしく膨らませるところがありますが、このことに関しては、本人も面白い話ではなかったでしょうし、そのことを知っている者もいますので、デタラメを書いたということはないでしょう。自分がいかに必死に息子、勝海舟の全快を祈願したかが強調されていますが、この点は少し盛っている可能性はあるかもしれませんが。勝海舟はこの事件のことを書き残していませんが、晩年になっても犬が大嫌いで、犬を見るとガクガク震えたということです。思い出すのも書き残すのも嫌な事件だったのでしょう。
歴史ライター夜食の独り言
江戸時代は野犬が多く、衛生状態、医療水準も低く犬に噛まれて死ぬということは、普通にありえたことでした。犬に股間を噛まれ死んでしまった人の記録も残っています。勝海舟の犬に股間を噛まれた事件は「夢酔独言」が伝えるのみですが、ここに書かれている勝小吉の息子に対する情愛は、ホラではなく本当であったのではないでしょうか。そして、小吉の情愛が奇跡を起こし、医者が助からぬといった勝海舟を助けたのかもしれません。
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