「桃源郷」
日本人なら誰もが聞いたことのある言葉でしょう。この桃源郷は東洋版ユートピアといわれている理想郷です。桃源郷の世界が描かれた「桃花源記」という不思議な話を高校時代に習ったという人も少なくないのではないでしょうか。実は、「桃花源記」を著したのは田園詩人として名高い南朝宋の人・陶淵明。彼はなぜこの不思議な世界を描いたのでしょうか?
「桃花源記」のあらすじ
有名とは言ってもその物語を知らない人も多いと思うので、まずは「桃花源記」のあらすじをさらっておきましょう。時代は東晋の太元年間。物語の舞台は武陵、現在の湖南省常徳市あたりです。ある日、漁師の男が谷川に沿って船を漕いでいると、突然眼前に見慣れない光景が広がります。あたり一面淡いピンク色の桃の花が咲き誇る林が川の両岸に広がっていたのです。
この見事な景色に驚嘆した漁師は、桃林の終わりを見たいと考えてさらに川をさかのぼっていくことにします。すると、林が尽きるのと同時に川も尽き、1つの山に行き当たりました。ふと辺りを見渡すと、その山に横穴が空いていることに気づきます。その狭い洞窟をくぐりぬけると、なんときれいに整備されている上に、見るからに栄えている村があるではありませんか。
そこにいる人々は外国の人のような装いをしており、漁師はこれにたまげて呆然としていましたが、漁師を見た村人たちもまたおったまげていました。村人たちは漁師を歓待し、自分たちは秦代の戦乱から逃げてこの地にたどり着いた人々の末裔で、晋王朝どころか漢や魏があったことすら知らないと語りました。
数日経って漁師がそろそろ帰ると村人たちに告げると、外界の人々には話さぬようにと口止めされます。しかし、それにもかかわらず、漁師は目印をつけて帰り、太守にその村のことをペラペラと話してしまいました。そこで太守は人をやって漁師のつけた目印をたどらせたのですが迷うばかり。とうとうその村を見つけることはできなかったのでした。
陶淵明が「桃花源記」を著した意図
なんとも不思議でつかみどころのない物語ですが、陶淵明は桃源郷を描くことによって人々に何を伝えたかったのでしょうか?
まず、桃林が登場しますが、これについては仙界を象徴するものと考えられています。道家思想を掲げる人々には世界の中心に生える世界樹は桃の木であると考えられていたらしく、そのために桃林は別世界への入り口の役割を果たすとされているのです。
また、秦朝の動乱から逃げた人々の末裔だったという設定ですが、陶淵明は彼らの先祖を自身と同じような隠者であると想定してこの物語を描いていたのではないでしょうか。東晋王朝から帝位を簒奪した南朝宋を認められず、世を儚んで田園に隠れた陶淵明。彼は俗世と縁が切れることを切に望んでおり、また、自身の子どもたちにも俗世とは関係の無い所で幸せに暮らしてほしいという願いを持っていたのかもしれません。
そしてその後、誰も桃源郷に行くことは叶わなかったということですが、探し求めなければ見つかるけれど、探し求めると見つからないという点がミソなのです。探すという欲望があると見つからないというのは、老子が唱えた「無知無欲」の思想に通ずるものがありますね。
陶淵明は老荘思想に傾倒していたのか?
このように分析していくと、陶淵明と老荘思想が切っても切れない関係にあるように感じられますが、実は、陶淵明が尊敬した曽祖父・陶侃はその当時流行していた老荘思想に疑念を抱いていた人物でした。
それならば、陶淵明も曽祖父と同じように老荘思想に対して否定的な思いを抱いていたのではないかと思われますよね。しかし彼は「ひいお爺ちゃんは中途半端な隠者気取りの奴らを否定しているんだ!」と解釈。東晋王朝もなくなっちゃったということで、真の隠者を目指して邁進するに至ったのでした。
そんなわけで田園に閑居して晴耕雨読の日々を過ごす中、陶淵明の頭にふと浮かんできたのが「桃花源記」という物語だったのでしょう。
三国志ライターchopsticksの独り言
真の隠者を目指していた陶淵明ですが、彼が隠居した田園という場所は、山のように人がいないわけでもなく、かといって町のように人がたくさんいるわけでもない、言ってしまえば中途半端なところです。
彼自身も隠者として名を馳せながら、何やかんやで世の中の動向を常に意識していた節があり、隠者としても中途半端な存在です。しかし、そんな俗世から抜けきれない彼だからこそ、どこかちょっぴりリアリティのある「桃花源記」を生み出すことができたのかもしれませんね。
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