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この記事の目次
残される印象
と、ここまで比較するように書いてしまいましたが、ホウ徳という武将は実は少し特殊な武将です。なぜなら彼の評価というのはその最期に全てが詰まっていると言っても言い過ぎではないほど、主だったエピソードも主に最後に詰め込まれています。
だからこそホウ徳は評価されているとこもあると、筆者は思うのです。また物語でも演出しやすいからか、三国志演義でもこの場面は大々的に描かれている印象ですね。
もう一人・・・于禁
そしてもう一人、馬超だけでなく正史でもホウ徳と比較されてしまった人物がいます。そう、于禁ですね。彼は最期に至るまでに様々な功績があったにも関わらず、最期で仕方のないこととは言え敵に降ってしまったことからやたら非難されています。
また曹操自身もこれについて「龐徳に及ばないとは思わなかった」嘆いたことで歴史にもそこばかりクローズアップされているように思うのです。そうでなくても歴史というのはやはりその最期が目に付きます。
しかしそこだけでなく、それまでに何をしたのかもその人物の評価としてみなくてはならないと思います。そしてそれを踏まえて考えると、より馬超の人生に悲哀のようなものを感じてしまうのですよね。
ホウ徳の「違い」
最期に少し、ホウ徳の最期について。正史三国志と三国志演義は違うというのは常識かもしれませんが、そこから更に生まれた吉川三国志、そして吉川三国志を参考にして描かれた横山三国志……この吉川三国志と横山三国志では、ホウ徳の最期が少し違います。
吉川三国志ではホウ徳は曹操への忠誠心から関羽と戦い続ける道を選び、あくまで敵として対応しました。対して横山三国志ではホウ徳は曹操への忠誠はそのままに、しかし武将として関羽に敬意をはらって最期を迎えます。これはあくまで筆者の好みですが、横山三国志版の解釈がここは好きなところですね。
三国志ライター センのひとりごと
今回は馬超とホウ徳について、少し二人の生き様を振り返ってみました。だけど振り返って見て分かったのは、自分の居場所を見つけられたように見えるホウ徳と、実は蜀でも己の身の置き場を悩んでいたのかもしれない馬超の図……錦馬超の人生の陰りはどこからだったのでしょうか。しかしこんな風に華々しいだけでなく、悲哀も感じさせるというのはある意味で、三国志の魅力かもしれませんね。
文:セン
参考文献:蜀書馬超伝 ボウヨウ伝
魏書ホウ徳伝
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