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この記事の目次
ぼーっとしているように見えた許チョ
さて虎痴という呼び名で呼ばれていた許チョですが、ぼーっとしているように思えない場面も多々あります。むしろ曹操の警護をしている時には、油断なく周囲に目を光らせていたほど。
そしてその目を光らせていたからこそ、周囲の人々の状態を細かく確認、誰も気付かない小さな変化も素早く異変として察知していた……そうなれば、暗殺や危険性を排除し続けた許チョの功績にも納得がいくというもの。
ここで思いつくのが「周辺視」。つまり許チョは常人にこそぼんやりして見えていたが、実は周辺視を使いこなしていたのでは?と思うのです。
周辺視と虎痴の「痴」
物の味方には中心視と周辺視の二つあり、中心視は何か一点を集中的にみることで、周辺視は広くぼんやりと全体を見渡す見方です。主に中心視は止まっている物を、周辺視は動く物を見る時に、例えばスポーツなどで使われます。
と言っても周辺視は中々使いこなすのが難しく、見渡したから良いというだけではありません。ぼんやりと広くを見ることで多くの情報を集め、その情報を処理して予測をすることができるだけの能力が求められます。
常人にはぼーっとしていると思われた許チョは実はこの能力が十分に備わっていた、だからこそ人に対する観察力が優れていて、曹操の危機を何度も救えたのでは……なんて考察してみましたが、どうでしょうか?
曹操の樊カイ
そしてちょっと最後に述べて置きたいのが樊カイについて。許チョのあだ名と言えば虎痴ですが、実はもう一つあります。それは曹操が言った「我が樊カイ」。
樊カイは劉邦に仕えた名武将であり、劉邦の危機を救ったこともある人物です。それほどまでに許チョを曹操は頼りに思っていたと思うと、許チョもまたその言葉に応えたのかな……なんて考えてしまいますね。
三国志ライター センのひとりごと
許チョは曹操を良く守った武将でしたが、曹操の亡くなった後では殆ど話がありません。それは既に老年に達していたからなのか、それとも仕えるべき、守るべき人を失ったからなのか。虎痴と呼ばれた、樊カイとも呼ばれた武将。もしかしたら愚直にただ一人に仕え続けたその生涯が、そこにはあったのでしょうか。
参考文献:魏書許チョ伝
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