典韋と言えば、許褚の前に曹操のボディーガードとして活躍した猛将です。
しかし、曹操が油断から張繍に襲撃された時に曹操を逃がす為に敵地に残って大いに奮戦し、たったまま死んだとされています。しかし、この典韋の遺体、その後どうなったのでしょうか?
この記事の目次
典韋の遺体は首を切断された
典韋の遺体は張繍によって首を獲られましたが、曹操は舞陰まで逃げのびると典韋の遺体を盗み出してくる勇士を募りました。
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典韋の遺体奪還部隊を募る
この典韋の遺体奪還部隊は無事任務を果たし、遺体は曹操の下に還ってきます。
もしかすると、今後の事を考えて賈詡あたりが典韋の遺体はあまり厳重に管理しないように張繍に告げていたのかも知れません。曹操は自ら哭礼をおこない自分の身代わりに死んだ典韋を悼みました。
参考文献:正史三国志 典韋伝
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