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三国志時代の木簡には何も書かれていなかった!その理由とは?

2022年11月16日


鍾繇(しょうよう)と木簡

 

あなたが三国志の時代に転生して部隊長になったとしましょう。たまたま敵の伝令を捕らえて、伝令が持っていた木簡を押収します。「へっへっへ、これは褒美に預かれるかも知れん」と喜んだのも束の間。木簡はサイズがバラバラなものの、どれも何も書いていませんでした。「なんだよガセだったのか」あなたは落胆して木簡をゴミ箱に放り込んでしまいますが、実は、何も書いていない木簡には重要な意味があったのです。

 

監修者

ishihara masamitsu(石原 昌光)kawauso編集長

kawauso 編集長(石原 昌光)

「はじめての三国志」にライターとして参画後、歴史に関する深い知識を活かし活動する編集者・ライター。現在は、日本史から世界史まで幅広いジャンルの記事を1万本以上手がける編集長に。故郷沖縄の歴史に関する勉強会を開催するなどして地域を盛り上げる活動にも精力的に取り組んでいる。FM局FMコザやFMうるまにてラジオパーソナリティを務める他、紙媒体やwebメディアでの掲載多数。大手ゲーム事業の企画立案・監修やセミナーの講師を務めるなど活躍中。

コンテンツ制作責任者

おとぼけ

おとぼけ(田畑 雄貴)

PC関連プロダクトデザイン企業のEC運営を担当。並行してインテリア・雑貨のECを立ち上げ後、2014年2月「GMOインターネット株式会社」を通じて事業売却。その後、「はじめての三国志」を創設。現在はコンテンツ制作責任者として「わかるたのしさ」を実感して頂けることを大切にコンテンツ制作を行っている。キーワード設計からコンテンツ編集までを取り仕切るディレクションを担当。


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木簡に何も書いていない理由

kawauso

 

実は、何も書いていない木簡は陰符(いんふ)と言い、文字ではなく木簡の長さで情報を知らせるものでした。例えば木簡の長さが一尺(漢の時代は22センチ)だと敵に大勝利したの意味、逆に3寸(6.6センチ)だと戦況は不利で兵を失った等です。

 

 

暗号解読をさせない仕組み

朝まで三国志2017-77 kawauso

 

陰符は定期的に長さの意味を変えているので、いつも同じとは限りませんが、押収した木簡を素直に司令官に渡していれば暗号解読のヒントになったかも知れません。こうしてあなたは、出世のチャンスを棒に振る事になりました。

 

 

参考:三国志軍事ガイド/ 篠田 耕一 / 新紀元社 (1993/11/1)

 

▼こちらもどうぞ!

三国志の時代にも暗号があった!陰書と陰符

 

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kawauso

台湾より南、フィリピンよりは北の南の島出身、「はじめての三国志」の創業メンバーで古すぎる株。もう、葉っぱがボロボロなので抜く事は困難。本当は三国志より幕末が好きというのは公然のヒミツ。三国志は正史から入ったので、実は演義を書く方がずっと神経を使う天邪鬼。

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