ゲーム「真・三国無双」で登場する先端がうねうねした武器。それが蛇矛。
特徴的な形から張飛の武器というイメージを持つ読者もいるでしょう。
ここでは、蛇矛の使い手と蛇矛の威力について紹介していきます。
張飛の蛇矛
小説『三国志演義』では蜀の張飛が桃園の契りを交わすときに用意した武器。よく見られるのは「丈八蛇矛」です。
「丈八」とは長さの単位で、三国時代の一丈は2メートル42センチ。丈八は「一丈八寸」の略、現在の長さでおよそ2メートル67センチに相当します。通勤電車のドアの高さがおよそ185センチですから、丈八蛇矛を持って乗車するのは大変でしょう。
蛇矛は「矛先、矛、柄」の三つからなり、最大の特徴は波打った矛のデザインです。剣と違い、うねっていることで破壊力を高めました。扱うには鍛錬が必要ですが、突き刺した時の威力は絶大でした。
最初に蛇矛を使ったのは誰か?
三国時代の蛇矛は発掘されていません。しかし、『晋書』によれば、
「陳安は左手に七尺の大きな刀を持ち、右手に丈八蛇矛を握っていた」とあります。
陳安は西晋の名将の一人で西暦323年に亡くなっています。三国時代が西暦280年に終わっていますから、その間わずか40年。蛇矛が三国時代に使われていた可能性は大いにあるでしょう。その後、蛇矛は歴史の表舞台から消えます。再び日の目を見るのは、300年が過ぎた唐の時代。李白の詩に丈八蛇矛の記載が見られます。
蛇矛は強いのか?実用的なの?
次の宋の時代に入ると蛇矛の形は二種類に分かれます。先端が剣のように尖った蛇矛と、先端が広がり開いた蛇矛です。それは生きた動物のように独特の威力を発揮しました。
一方で蛇矛を製造するのにも熟練した技術が必要でした。特に鋼を使う矛の部分は50センチ以下という合理的な長さにモデルチェンジ。鋼の部分を短くすることで蛇矛の重量が減り、扱いやすくなったのです。
軽ければスピードもアップし、性能が向上します。鉄の中心部分には木軸を入れ、銅で固定しました。宋の蛇矛は鋭く、曲線もiPhone XSのように見事でした。明の蛇矛はごつごつした形状で大柄なデザイン。威力は絶大で過去最大の蛇矛と言われています。
兵器の近代化が進む清の時代に入るとカーブはわずかになり、矛の端は二つに分かれるようになります。おそらく清の中盤以降は軍隊の武器として正式に採用されていたのでしょう。基地から戦地への移動に邪魔にならないよう配慮されたのかもしれません。
張飛が持っていたような3メートル近い蛇矛では軍用機や戦車に乗るのも大変です。旧日本軍が銃の先端に小さな剣を取り付けていたように武器も合理化が計られ、蛇矛は実戦で投入されなくなります。
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張飛はどうやって蛇矛を扱ったのか?
話を張飛の活躍した三国時代に戻します。3メートル近い蛇矛を片手に持ち、馬に乗る張飛。すでに怪力の持ち主、鬼に金棒ならぬ張飛に蛇矛です。
通常の人間であれば、蛇矛を片手で持つのも一苦労でしょう。それを馬の手綱を握ったまま、敵を薙ぎ払うのですから張飛の偉大さが容易に推測できます。蛇矛は長いので、馬上での戦闘はかなり有利です。間合いを詰められる前に敵を突き刺すだけです。蛇矛も馬上と敵の距離を考えて3メートル近い長さで設計されたのでしょう。
一方で馬から降りた場合、かなり不利です。そもそも矛先がうねうねしてますから、刺したあとに引き抜くのが大変です。つまり、突き刺す方法は一対一専用なのです。そう考えると馬上でも地上でも刺すというより、敵を薙ぐ武器として使う方が楽です。先端だけでなく、両サイドも切れますから、横から振り払えば、敵をやっつけることができたでしょう。
三国志ライター上海ライターの独り言
蛇矛の特長や蛇矛の扱い方を紹介しました。現代の日本で役に立つかは不明ですが、マンガやゲームで蛇矛が目に焼き付いた読者も多いはず。
機会があれば、特別展三国志にも足を延ばしてみましょう。
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